配慮の押しつけは選択肢を奪う—自分が何者であるのかを正しく認識させる権利[下]-(松沢呉一)-2,621文字-
「なぜ虚偽を容認してきてしまったのか—自分が何者であるのかを正しく認識させる権利[中]」の続きです。
属性による線引き
いったん他者のものとして評価しているので、決して自画自賛ではないですが(「自画自賛だけど、客観性のある自画自賛」というべきか)、私はこういうところは敏感なのです。私にとっては個人が判断の単位だからです。
自身に関する虚偽について「否定すべきではない」という意見に対して、私は「いや、ちょっと待てよ」と感じるのは、差別反対という題目が、「自分についての間違いを訂正すること」「個人が個人の主張をすること」の上位に置かれてしまうことへの疑問です。ここはエレン・ケイの主張に共感するところです。
なおかつ、どちらを優先するのかは個人に委ねられていいはずなのに、そうはならないことへの反発です。なぜひとつしか答えがないと考えるのか。
「顧客の信頼を失う」「他の社員が嫌がる」などと言われて、職場で本名や国籍を名乗れないことの悔しさはわかります。とくにそこに重きがなく、それより不利益を被ることを避けたい人は通名を名乗る選択が認められていいのと同時に、本名を名乗る選択も認められていい。どちらも本人が決定すればいい。
会社がその選択を認めないことと、「差別をなくすために」として本当のことを言わせないこととは、上位に置かれるものは違えども、通底するところがあります。個の選択が下位ということです。
これこそが社会運動がしばしば陥る誤りです。運動内の間違いを指摘すると、「運動のために」と封殺される。個別には間違っていても、目的として正しいとして肯定され、腐敗する。
個の誤りは集団の正しさで肯定されてはいけないし、個の選択は集団の論理で否定されてはいけない。
※「白髪はハゲない」と言われてますが、銭湯でハゲている白髪のじいちゃんを見かけます。率が少ないようには思いますが、染めている人だとわからんです。検索してみたら、根拠はないということになってます。そっか、ワシもそのうちハゲるのか。これまで縁がなかったので、育毛剤のことも知らなかったのですが、リアップがお手頃価格で効果もまあまあのよう。ミノキシジルという成分に効果があるらしい。第1類医薬品のため、簡単には買えないみたいなので、効きそうな気がします。
配慮の押しつけは選択肢をなくす
たとえば私が「在日ではない」と表明することによって、在日の知人は、今まで対等の関係だと思っていたのに、そうではないことを突きつけられて辛いといった感情が生ずることもあるでしょう。十分理解できます。しかし、国籍がどうあれ対等の関係は作れます。むしろ、そこで個が尊重されないことの方が個と個の間に距離を生む。
また、それで言うと、在日であることをふだんは隠している人にとっては、堂々民族名を名乗って、自身在日だと公言している人は辛い存在になり得る。帰化する人は帰化しない人にとって辛い存在になり得る。
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