松沢呉一のビバノン・ライフ

お国のために女たちは起て!—女言葉の一世紀 138(松沢呉一)-3,832文字-

国家主義と女性の地位向上—女言葉の一世紀 137」の続きです。

 

 

 

個人主義から国家主義へ

 

vivanon_sentence太平洋戦争勃発直前の著書『女性の出発』(昭和十六)では「個人主義」「国家主義」という言葉がしばしば出てきて、個人主義は繰り返し否定されており、「個人主義から国家主義」へという見出しもあります。

吉岡彌生の「女子の社会進出肯定論」は、日露戦争に賛成した巌谷小波のそれに近いものだと思えます。日本が欧米列強を肩を並べられるようになるためには女の力が必要。これを確認するものは探せていないですが、吉岡彌生は日露戦争にも賛成し、戦争協力していったことは間違いなかろうと思われます(そういった発言を積極的にするようになるのは大正末期からのようなので、その考えが公開される機会がなかったのかもしれない)。

両者の違いは巌谷小波の国家主義は日本が一流国になることに重きがあり、吉岡彌生のそれは女子の地位向上に重きがあるかもしれないという点にあるのですが、その差はそう大きくはなく、吉岡彌生にとってはどちらも重要なテーマだったんだろうと思われます。

東京女医学校が軌道に乗ったのは日露戦争によって入学者が激増したことにあります。急に若い女子が国家主義に目覚めて、お国のために奉仕したくなったのではなくて、戦争で夫を亡くした女たちを見て自立すべく職業を持ちたいと思う女たちが増えたというのが吉岡彌生の見方です。

ただ、以前も書いたように、医師にせよ看護婦にせよ、女なのに戦地に行く可能性もあって、「手に職をつける」という程度では医者はリスクが高く、愛国心の発露ということもある程度はあったのではないかと思います(このあと見ていくように、男の医師は従軍することがあっても、女の医師は戦地に赴くことはあまりなかったよう。戦地に行ったのは看護婦です)。

しかし、日露戦争が始まった明治三七年(1904)、十年後には医術開業試験を廃止して、大学や専門学校を出た生徒じゃないと医師になれなくなるとの発表がなされ、明治四五年(1912)、東京女医学校は設備を整えて東京女子医学専門学校になります。

大正九年(1920)には指定校となって卒業すれば免許を得られるようになります。この課程でもいかに戦争において女医が必要なのかの働きかけをしていることでしょう。専門学校になった時には条件を満たすために病院を増築しているのですが、この時は陸軍に土地を借り受けています。これに限らず、東京女子医学専門学校の発展には軍の協力もあったのだろうと推測します。戦時には女医が必要とされるのです。

吉岡彌生にとって、戦争は女の存在を認めさせる格好の機会であり、持論を実践し、アピールする舞台でもありました。

 

 

男に替わって女たちは起て

 

vivanon_sentence大陸で日中戦争が始まってから、さらに吉岡彌生はその信念を強め、愛国婦人会などいくつかの婦人団体の活動を通して、戦意を高揚し、国策に協力するよう女たちに訴えます。

吉岡彌生著『女性の出発』は昭和十六年の五月に発行されたものです。さまざまなところに書いた文章をまとめたものであり、そのため、内容がいたるところで重複している上に、全体を通すトーンはすべて同じと言っていい。いかに戦時、非常時の現在を乗り切り、興亜を実現するのかがテーマです。

吉岡彌生は明治四年(1871)年生。この本が出た時、七十歳ですから、考え方が硬直したものと見ることもできるのですが、過去の発言と照らし合わせても、時局が彼女をしてそう変えたというより、彼女がもともともっていた思想が戦争で時機を得たのだと見た方が正しそうです。

緊迫する国際状況を淡々と述べつつ、国民の心構えを説く吉岡彌生は自身が高揚しているようでもあって、その高揚こそがこの人の本領とも思えてきます。

 

 

我国の家族制度は婦人をして極端に家庭中心主義に導いたのです。従って多くの婦人は家庭といふ事より他には全然目を注がなかったのです。言ひ換へれば家庭に居て家政を巧く司ってゆく事だけが日本女性に課せられた任務でした。此れは従来の社会状勢がしからしめたもので、勢ひ社会人としての訓練を受ける機会がなく、よき妻よき母たる事が第一の念頭で、国家意識も少なく国民としての自覚も乏しい有様でした。

然るに事変の勃発以来、女性も日本国民たるの意識を強く感じ、且つ周囲からも社会の一因として取扱はれる様になり、社会人としての訓練の必要が芽生えて来ましたので、今後此の転換をどうするかが重大な問題です。かつて漢口攻略が成れば武力戦は一段落するだらうといふ考が日本人の多くを支配してゐた様ですが、攻略後の事実は蒋介石は飽くまで長期抗戦を豪語し、現在、第三国の後援もあって事変の前途は見透しもつきかねる状態にあるのです。従って今後男子と云ふ男子は尽(ことごと)く応召され、又、たとへ国内に居っても軍事関係の重工業等に専ら携はらなければならない時機が来る事を予想して、平時に於ける国内の仕事則ち農業、工業、漁業、交通事故、会社、銀行等あらゆる男のしてゐた総べての事に女性がとって替らねばならなくなる事を覚悟しなければなりません。それには訓練と体力が必要で、そこ迄果して女性が行くか行かぬかは今後の問題ですが、是非やらねばならぬ事です。

 

 

後半は欧州大戦で生起した状況、つまり女たちが社会進出していったことを踏まえているのでありましょう。

※吉岡彌生著『女性の出発』(昭和十六)より勲章をつけた著者

 

 

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