松沢呉一のビバノン・ライフ

吉岡彌生が提唱する国家主義的産児無制限論—女言葉の一世紀 139(松沢呉一)-3,726文字-

お国のために女たちは起て!—女言葉の一世紀 138」の続きです。

 

 

 

生めよ殖やせよ

 

vivanon_sentence吉岡彌生の著書『女性の出発』が発行される直前の昭和十六年(1941)一月二二日、近衛内閣は「人口政策確立要綱」を閣議決定します。

戦争で必要とされる人員を確保するため、出生を殖やす施策です。具体的には結婚年齢を早め、避妊をせず、多産を奨励する。

それ以前から「産めよ(生めよ)殖やせよ国のため」というフレーズはあったのですが、事細かな対策を定めたこの要綱で、「産めよ殖やせよ」体制、つまり出産強制体制が完成します。

人口政策確立要綱」にはこんな内容もあります。

 

 

(ホ)高等女学校及女子青年学校等に於ては母性の国家的使命を認識せしめ保育及保健の知識、技術に関する教育を強化徹底して健全なる母性の育成に努むることを旨とすること

 

避妊についても触れられています。

 

 

(ル)避妊、堕胎等の人為的産児制限を禁止防遏すると共に、花柳病の絶滅を期すること

 

 

この定めを忠実に実施しようと呼び掛けていたのが吉岡彌生でありました。

 

生めよ殖やせよ

移民花嫁について申上げませう。御承知のやうに我が国は人的資源が割合に多うございます。それに比較して、物資の資源が少いことも御承知の事と存じます。

人的資源の多い事は、心強い事には違ひありませんが、面積に比べて人口があまり多すぎる、ですから日本は産児制限をしなければならぬ、と云はれた時代がありました。その時代から私は、産児制限には絶対反対して参りました。子供はどしどし生まなければならぬ。制限の必要は絶対にない、と申して来ました。

満州事変があり、又今度の支那事変があり、産児制限をするどころではありません。お国の為には、壮丁をどんどん送らなければならぬのです。何日何時、どんな事が起こるかわかりません。それにそなへる為にも、第二第三の国民ほ強く立派なに育て上げておかなくてはいけません。又、満州が独立して、その指導的立場にある日本の国民が貧弱であってはならないのであります。どしどし満州にも出かけて行かなければならないのであります。

 

 

これは満州に移民することを勧める文章の一部で、「生めよ殖やせよ」はその見出しです。「壮丁」はただの大人の男を指すとともに、軍人を指します。この場合は後者かと思います。ただ国民を殖やすだけでなく、大陸に送り込むための立派な軍人が必要だというわけです。

 ※写真は東京女子医学専門学校編『東京女子医学専門学校一覧』(昭和十二)より附属病院の病室

 

 

国家主義的「産児無制限論」

 

vivanon_sentence以前、「ビバノン」で、産児制限には大きく三つの潮流があることを説明しました。ひとつは国家主義的産児制限論。ひとつは社会主義的産児制限論。もうひとつは個人主義的産児制限論です。マーガレット・サンガーなど、フェミニズムの流れの中での産児制限論は「産むも産まないも個人が決定していい」という個人主義的自己決定論が多かれ少なかれ入り込んでいます。

国家主義的産児制限論は社会主義的産児制限論と重なって、人口増加が急で貧困が加速するような時になされますし、壮健な兵隊を必要とし、民族的優越性を保つための優性思想として現れることもあります。

しかし、吉岡彌生は優性思想的なことをはっきりとは書いていません。母親は母体を健康に保たなければならないことを吉岡彌生は強調していますが、ただ母から子という個人の心掛けに留まってます。大東亜共栄圏的理想と優生思想とは相性が悪かったのかもしれないとも思うのですが、ここは確かめられず。

吉岡彌生はただただ子どもを産めと主張する国家主義的「産児無制限論」です。個人主義的産児制限論者は「産むも産まないも国家が押しつけるものではない」と考えるわけですが、この立場をとる人は日本にはほとんどいなかったため、おそらく婦人運動家たちの多くはこれに反対しなかったのだろうと思われます。

かつては社会進出第一だった吉岡彌生は、ここに至って母性の強調をしていきます。どちらも両立できるというのが吉岡彌生の主張ですから、矛盾はありませんけど、吉岡彌生本人は男児を一人産んでいるだけなので、「そこはどうなんか」と突っ込まないではいられない。こういう人たちによくあるように、「私の役割は別」ということだったのかもしれない。

 

 

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