松沢呉一のビバノン・ライフ

男女別学は容認されていい性差別—男女別学は差別か?[6](最終回)-(松沢呉一)-2,806文字-

女子大のアドミッション・ポリシー—男女別学は差別か?[5]」の続きです。

 

 

 

男女別学は性差別であるというところから始めるべし

 

vivanon_sentenceここまで「ビバノン」で説明してきたように、「女性議員が少ないのは女性の候補者が少ないため」です。なぜ少ないのかと言えば、「女は政治に向かない」「女らしさと政治は相性が悪い」と社会や家庭、学校で教えてきたからです。女子大もその中にあって、政治、経済、法律を教える学校はほとんどない。

「女性医師が少ないのは医師になろうとする女子が少ないから」です。その背景にあるのは女子の理系率の低さです。「女は理系に向かない」「女らしさと理系は相性が悪い」と社会や家庭、学校で教えてきたからです。女子大もその中にあって、理系が弱い。あっても理学止まり。

その中で東京女子医科大学が奮闘してきたことは間違いないのですが、だからといって、他の女子大が免罪されるわけではないし、今現在、東京女子医科大が女子大であり続けている意味はほとんどない。

東京女子医科大学附属病院の現在の窮状は、女子大であることが関わっている可能性があって、アドミッション・ポリシーにもそれが滲んでいることは確認した通り。だったら、共学にすればいいんでねえのって話です。

吉岡彌生の教え通りに外科医を選択する率が共学校に比して明らかに高いということでもあればまた別ですけど、女子大であり続けることの必然性は薄いのです。

結局のところ、別学は性差別です。女しか入れない、男しか入れない。性別で区切っているのですからあからさまな性差別。東京女子医科大学は女性医師率を高めるために寄与しているのだとしても、「擁護の余地のある性差別」です。

私はそんなことはどうでもよくて、学校の自立性を守るために容認される性差別だと思ってます。

 

 

性差別における朝田理論か?

 

vivanon_sentence対して、男女の定員に差をつけることは差別だとする人たちは、どうして別学の女子高、女子大を放置できているのか。もしかすると、「社会全体のアンバランスの是正」という考え方をしているのかもしれません。

高校進学率や短大を含めた大学進学率で、女子が男子を上回っていても、なお社会全体に「政治家における女子率」「医師における女子率」「法律家における女子率」「経営者における女子率」などのアンバランスがある限りは女子高、女子大の存在意義があるということです。

そのためには男子の受験生の選択肢が減ってもいいし、男子は高校にさえ行けなくていいと考え、それを都立高校が調整すると、今度はそれが差別だと言い出す。東京女子医科大が東京における13校の選択肢のうちのひとつから男子を排除しているのも問題がない。それに対して、東京医科大が女子の定員を減らし、それを事前に告知していたとしても性差別だと言い出す。

「すべての女の不利益は差別である」「差別か否かの判定ができるのは女だけ」と考える。朝田理論かよ。朝田理論についてはこのあとのシリーズで改めて批判しますが、これはたまたま類似しているのではなくて、差別されていると認識した側が「差別されている属性」を使ってもっとも有利な状況にもっていく場合に陥る論です。

現実には女子高、女子大こそがこそが男女の機会均等の障害になってきたことを糊塗してしまう愚論です。

 

 

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