松沢呉一のビバノン・ライフ

吉岡彌生を否定し切れない—女言葉の一世紀 144(松沢呉一)-4,138文字-

吉岡彌生著『婦人に与ふ』を推奨する—女言葉の一世紀 143」の続きです。

 

 

 

婦人に与ふ』は吉岡彌生の真骨頂

 

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前著『女性の出発』(昭和十六)に比して、『婦人に与ふ』(昭和十八)のどこが優れているのかというと、前著が雑文をかき集めたもののため、似たり寄ったりの内容の文章が続くのに対して、後者は書き下ろしのため、筋道が立った内容になっていることです。

日中戦争が始まって以降、雑誌はどれもこれも大政翼賛のトーンとなって、戦意高揚と節約推奨で誌面が埋まっていき、この頃までは実話雑誌には辛うじて出ていたエロ系記事は完全に消えて、これ以降の雑誌は面白くもなんともない。

吉岡彌生はそのような原稿依頼を受けることが多かったのでしょうが、どの雑誌も似たような誌面作りになれば、原稿も同じようなものになるのは必然です。

前回取り上げた「新しい女」評のように、『婦人に与ふ』でも内容に重複が見られるとは言え、前著では書き切れなかった内容が随所に見られます。

女にも教養が必要なのだと思った経緯についてのエピソードも詳細です。長くなりますが、リアリティがあって納得しやすいので転載します。

 

 

御存知のやうに私は職業が医者であります。私が医者になってからすでに五十有余年を過ぎましたが、その間私は多くの家庭に出入し、また数多くの患者に接触しました。私が医者になったときはまだわが国には女医など殆どないといってもよいくらゐ僅かでした。当時の女医といへば明治十八年にはじめて一人でき、明治三十年頃になってやっと百人位ゐたかと思ひます。これらの女医はおそらく私と同じやうな経験をしてゐるのではないかと思ひますが、私は、はじめて医者になってから男性を詛ひました。そしてわれながら世の男性が無情であり無反省な態度に憤慨もいたし、一面では家庭婦人の無智なのに驚きました。しかもこれが国民の中堅層と見られるべき家庭の実情であったのです。

医者の義務として、如何に深夜でも呼びに来れば往診にまゐらなければなりません。主婦が痙攣を起して苦しんでゐるという場合が多いのです。見れば夫がその傍で小さくなって困惑した顔付をしてゐる。最初は私も一々丁寧に診察しましたが、その原因を知るやうになると、私は大抵の場合に打診もせず、聴診器も用ひませんでした。それといふのは、かうした病気は実際はヒステリー性のもので、その原因は半分以上が男性の側にあるのです。そこで私は静かにその夫を見、戒めるやうに叱ります。「あなたは今帰ったのじゃありませんか」と。そして男の不心得を諭すやうにしてやると、妻は一服の薬も飲まず、勿論注射などする必要もなく何時の間にか痛さを忘れ、元気づき、時はに私が帰らぬうちに癒ったりいたします。

これはなぜでせうか。

一応の生活が営まれ、比較的苦労を知らない家庭では、女は毎日主人が出かけると、一日中長火鉢のそばで亭主の話をするのが、唯一の慰めでもあり、また誇りでもあるらしいのです。かういふ婦人たちは多くの場合に社会的な生活ももたず、突(ママ)き合いもまたないらしく、朝から晩まで主人の帰りを待ち侘びてゐる。しかし待たれる主人は仲々帰って来ない。そこで女はだんだん気が苛々したり、何時の間にか神経がたかぶるといふのが大体の順序です。かうした生活が相当期間続けられると、これが病的症状を呈するやうになり、やがて先に申したやうな痙攣の形となって現れます。

(略)

家庭争議の原因はほとんど全部といって良いくらい男性の側に責任があるやうに見うけられます。だからとって婦人の方は、すべて良いかといへば決してさうではありません。たとえば痙攣の場合などは原因が夫にあるとはいへ、一方では女の無智と教養の足りなさから来るものでもあります。そこで私はこれらの多くの婦人たちの社会的常識に欠けた行動や考へ方と、また甚だしい無智から来る不幸を救ふために、どうしても教育を普及させることが何よりも急務であると痛感したのでした。

これは無論一部の人々ではありますが、男性は一歩外に出ると女の話をし、まるで男性には貞操も道徳もないかの如く振舞ふ。相当な地位の人でも、或はかうした人たちであればこそ、そうしたことも可能であるかも知れませんが、出張などすると酒色にふけり、俗にいはれる「人間御馳走」に眼を細める。それがどういふ結果を生むかはもちろん度外視して行はれるのでせう。何時の間にか良からぬ病気に感染して帰ります。つまり性病をかくれた土産として帰るわけです、そこで男性の無暴と女性の無智さ加減がたちまち暴露されます。女は知らぬ間に淋病を移される。羞かしい思ひをしながら医者の門を叩き「主人が出張して大変忙しかったので、すっかり冷えましたので……」といふのが定まり文句である。(略)

なんと無智なことでありませう。淋病を移されてもなほ且つ男の甘言を信じて疑はないのです。これは男女ともに性病に対する知識がなく、またこれを教へたり学んだりすることを、或は失敬なことのやうに考へ、或は恥ずべきことと思ったりしたことが原因でせう。自分たちの体の構造や、それがどうしたら成長し、なぜ病気になるかといふことを知ることは、人間として当然のことであるぱかりでなく、却ってこれを知らぬことが人間の恥辱ではないかと思ひます。そこで私は一つの方法として、出来るだけ多くの機会を捉へては性病の話を何のかくすことなく、極めて率直に話してあげることにしました。殊に青年団の会合などでは勤めて男女青年を一緒にして頂き、性病がなぜ絶命しないか、性病とはどんなものか、どれほど恐るべき害毒を流すものであるか等々、許されるかぎり詳しく率直に話すやうにしました。

 

 

性についておおっぴらに語る姿勢は素晴らしいですね。

 

 

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