松沢呉一のビバノン・ライフ

言葉を封じても解決にならない—心の内務省を抑えろ[7](松沢呉一)-2,677文字-

「ホモ」を差別用語にするな—心の内務省を抑えろ[6]」の続きです。

このシリーズは「ネトウヨ春(夏)のBAN祭りからスピンアウトしたものなので、図版がない時は祭りの写真を使っています。

 

 

 

知らないことは責められるべきなのか?

 

vivanon_sentence「言葉狩り」の問題はいくつもあるわけですけど、そのひとつに「その言葉が差別用語とされていることを知らなかったとしても糾弾の対象になる」ってことが挙げられます。私はこれが納得できない。

差別だと自覚のないまま差別をしていることはあり得ます。

たとえばある中学生がいたとして、家のすぐ近くに高校があって、歩いて行ける。偏差値も自分に合致していて、将来自分が進みたい大学への推薦枠もあり、理想的です。

ところが、調べてみたら、外国籍の生徒は受け入れないことがわかります。国籍は日本でも髪の毛や肌の色で日本人ではないと見なされる生徒は受け入れない。車椅子の生徒も受け入れない。片親の生徒も受け入れない。特定出身地の生徒は受け入れない。

これらはすべて差別だと見なされるでしょう。これが差別であることに気づかない学校はまずないと思いますが、その生徒が女子で、学校が男子高だったら? あるいはその生徒が男子で、学校が女子高だったら?

これも私は差別だと思っていることはすでに述べた通り。学校側がこれを差別だと認識していなくても、性別で受け入れないのは差別です。だから国によっては男女別学の学校は存在しないし、国によっては公立学校での別学は存在しません。

日本では社会が容認してきた差別であり、私も容認されていい差別だとも思っていますが、差別は差別。差別だと認識していなくても、差別です。この場合はそれ自体を批判しようとは思わないですけど、ものによっては差別だと認識していない差別を批判しましょう。

しかし、その言葉から誰もが差別的な意味合いを感じられるわけではない言葉を「差別用語」と認定し、使用したのがいたら「差別だ」「差別者だ」と糾弾するのはおかしいでしょ。

※本文にはなんの関係もない大田区の都立高校。ここは敷地が広くていい環境。多摩川が近いので、野鳥やヘビ、カニとも遊べます。

 

 

差別意識のない人が差別者呼ばわりされる理不尽さ

 

vivanon_sentence前回見た「バカチョン」もほとんどの場合は差別用語だなんて知らずに使っています。知らないのは当たり前、もともとそんな意味ではないのだから。それでも言葉の意味を曲解して非難する。つまりはなんでもあり。この人たちにとって、差別用語の定義は「差別用語と言われていること」であり、差別用語はそうしたい人たちがその人たちの都合で決定するものなのです。

私の育った北海道では部落差別がなく、あるのはアイヌ差別です。私はアイヌ差別の実感もなかったですけど、そういう地域で育った人の中には部落差別の実感がないだけでなく、それについての知識がまったくない人もいるでしょう。

一方、田舎に行けば今でもお年寄りが集落、村落の意味で「部落」を使っていることがよくあって、このふたつの条件が揃った時に、差別用語だと知らず、差別意識などないまま「部落」という言葉を使い、それだけで「差別者だ」と糾弾されるとしたらあまりに理不尽です。

この理不尽さを回避するために「言い換え用語集」が作られて、そのチェックを怠ったら糾弾され、場合によっては回収、絶版になる。これが現実に起きて、今も言葉は狩られている状態です。

※この本も差別用語を考える際の定番的な一冊です。著者の高木正幸は朝日新聞の記者で、自身、『現代用語の基礎知識』での記述によって部落解放同盟からの糾弾を受けています。

 

 

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