松沢呉一のビバノン・ライフ

前線に立つべしと煽った吉岡彌生は空襲とともに疎開—女言葉の一世紀 148(松沢呉一)-2,891文字-

母性保護の行きついた先が戦争礼讃・ナチス礼讃—女言葉の一世紀 147」の続きです。

 

 

 

日本の女医たちも立ち上がれ

 

また、vivanon_sentence吉岡彌生はドイツの女医たちが国のために奮起した様子も礼讃しています。

 

 

医学の国ドイツには多数の女医がをりますが、戦争で男性の医者が出征したり或は従軍したりして、国内に医師が不足してゐます。これに対して女医たちは一斉に奮起しました。男性の医師が出征すれば、先づその家庭を守る仕事から、その留守の間の病室の回診や往診を引きうけ、国内の国民保健は女医たちの手で守られてをります。夜の日についでの激しい活動のなかでも彼女たちは自分の研究を抛棄することなく懸命につづけ、なかには出征した男医の研究を代わってやるといふ人まで出て、ドイツ医学の名誉のために全力をつくしてをります、さらに女医の活動は国民に保健衛生や育児法や看護婦の教育などの指導にも向けられてゐます。

 

 

日本の女医たちも立ち上がれと言いたかったのでしょう。

 

 

あれだけ煽っておいて、自分は安全を求めて疎開

 

vivanon_sentenceここまで見てきたように、吉岡彌生がナチスを礼讃しているのは母性保護政策であったり、託児所や労働環境の拡充、出産・育児休暇といった点であって、これらは今だって多くのフェミニストが歓迎するところです。それを国家がやり始めたところで反対する人たちはほとんどいないでしょう。ここにおいては宗教道徳とも手を握れるのが日本のフェミニストです。

クオータ制度に賛成するような人たちも諸手を挙げて賛成しそうです。あるいは東京医科大の件でも、文科省が、大学の自立性の領域に介入することに抵抗感のない人々とも通じます。あるいは個人の領域であるセックスについて国が介入することに抵抗感がない、しばしば積極的にそうして欲しがる人々にも通じます。

疑問を抱くのがいるとしたら、与謝野晶子や伊藤野枝タイプの個人主義者の系譜に属する人たちです。だから、ほとんどいないのです。

吉岡彌生を特殊な存在としてとらえるべきではありません。市川房枝や奥むめお、山高しげりも同様です。この国の婦人運動が内包し続けている性質を実践した人々であって、これから先も必ず登場するタイプの人たちであることを見据えたい。

山田わか、市川房枝、奥むめお、山高しげりらをどう評価するのか、とくに市川房枝の戦中の活動と戦後の活動とをどうとらえるのかについては今現在私は答えをもっておりません。山田わかについては最初から評価に値しない人だとして、平塚らいてうもまたこの流れと無関係ではありません。

吉岡彌生についてはその論については傾聴すべき点があることを認めつつ、人としては信用がならないと思っています。

本書の第四章「戦争と婦人」には「前線に戦う婦人」と題された文章もあり、従軍看護婦、慰問、報道、宣撫工作で前線に立つ女たちを鼓吹しています。大変勇ましくてなによりです。

ところが、Wikipediaによると、「空襲後、疎開」とあります。他のもので確認ができていないのですが、これが事実だとすると、1942年(昭和十七)のうちには東京への空襲が始まっていますから、1943年1月にこの本が出た段階では東京にはいなかった可能性があります。

平塚らいてうも戦争が始まって間もなく疎開をしていて、市川房枝が批判的に語っている「私の友だちなんかでも戦争になったら、山に入っちゃって、山でヤミでごちそう食べていた人がいるんですよ。戦争が終わったら帰ってきて、私は戦争に協力しなかったっていう人がいる」というのはことによると平塚らいてうのことなのかとも思いました。戦中の話は平塚らいてう自身が書いていたような気もししつ、具体的には全然覚えていないのですが、もしそうだったとしても、現に市川房枝と違って戦争協力をしなかっただけましではなかろうか。責任が一切ないとは言い切れないとしても。

それに引き換え、吉岡彌生は他の人たちを差し置いて疎開する資格があるでしょうか。70代に入っていたからやむを得ないかもしれないですが、せめて未来のある子どもらや若い世代を先に逃がせ。この人はそういう人だったのです。書いたものを読んでいるだけだったら、そう断ずることはなかったかもしれないですが、東京女子医科大学を訪れて、さらに「この人は信用がならない」と思うことがありました。

※早稲田大学と東京女子医科大の連携による「東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設」

 

 

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