松沢呉一のビバノン・ライフ

三島由紀夫が作り出した秘密パーティ・ブーム—SMクラブができるまで[中]- (松沢呉一)-3,091文字-

秘密クラブの誘拐事件—SMクラブができるまで[上]」の続きです。

 

 

 

古い時代のSMを知ることの困難

 

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前回見た「秘密クラブ」は会員制であったとしても、現在のSMクラブと同じようなシステムだったのだろうと思われる。したがって、あれが日本初の「SMクラブ」(SMという言葉はまだなかったので、「アブノーマルクラブ」といったところか)なのかもしれないが、あれが実話だとしても特殊例であり、そこから始まった流れが今につながるわけではないので、元祖SMクラブとは言いにくい。

古い世代のマニアさんたちに聞くと、「昭和四十年代には今のようなシステムのSMクラブが東京や大阪に出てきた。その前はサークルといった形で存在していた」ということになる。たしかに昭和四十年頃から、SM雑誌には「ピオニール」というサークル形式のSMクラブが広告を出し始めている(ここでもまだ「SMクラブ」という表現はなされてていない)。それ以前から複数のサークルが存在していたよう。

これを確定させるのは相当に難しい。たとえば赤線であれば、二十歳そこそこ、あるいは十代で出入りしていたのもいるが、入会金が高く、審査もうるさかったであろう会員制のサークルだと、主たる会員は四十代以上。1960年に四十代だと現在百歳前後。ほとんど亡くなっていようし、存命だとしてもすでにSMの世界とは接点がないだろうからアプローチしようがない。アプローチできたとしても話してくれない可能性が大。

たまたま二十歳くらいで紛れ込んだか、ギャラをもらってM女役、女王様役で参加した若い世代を探すしかないが、何ぶんにも絶対数が少ないので、こちらからのアプローチも困難だ。

となると、当時の雑誌記事を丹念に探して行くしかない。

※「Aquamanile in the Form of Aristotle and Phyllis

 

 

秘密クラブ潜入

 

vivanon_sentence昭和二十年代の雑誌では、「秘密クラブ」という言葉が多数見られるのだが、その多くはブルーフィルムの上映と白黒ショーの類いである。これが昭和三十年代になると、SM系「秘密クラブ」をチラホラと見かけるようになる。

特集雑誌」(芸文社)1960年6月号に湯屋弘「秘密クラブ潜入の二十四時間」という記事が出ている。

筆者の学生時代の友人Nは、学生時代に二十代末の有閑マダム千鶴子とつきあっていた。 十年ぶりにNに会ったら、今も千鶴子とつきあいがあって、彼女は秘密クラブを主催しているという。そこで、筆者は、Nの案内で、取材をさせてもらうことになる。

場所がわからないように、筆者は目隠しをされて会場の邸宅に着く。三々五々、十人ほどの男女が集まり、メンバーが揃ったところでブルーフィルムの上映となる。ただセックスするだけの、ありきたりのエロ映画から始まって、やがて強姦映画やサディズム、マゾヒズムの映画が上映され、会場は異様な空気に満たされ出す。

上映が終わると、女が男の上にまたがって乱交状態になり、女が縛り付けられるなどの狂宴が数時間にわたって続き、男らがすっかり疲労した頃、バイトで雇われた若い男らが入ってきて、四人の女たちを犯していく。

それを見ながら筆者は嘔吐感に襲われる。ざっとそんな話だ。

会場に行き着くまでは目隠しされているのだから書きようもなかったろうが、建物に着いてからも具体的な描写があまりに乏しく、創作臭い。

 

 

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