松沢呉一のビバノン・ライフ

部落民とは誰か—心の内務省を抑えろ[16](松沢呉一)-2,618文字-

朝田理論が部落問題をタブーにした—心の内務省を抑えろ[15]」の続きです。

このシリーズは「ネトウヨ春(夏)のBAN祭りからスピンアウトしたものなので、図版がない時は祭りの写真を使っています。

 

 

 

内部と外部の線引き

 

vivanon_sentence前回見たように、朝田理論は「被差別者であること」具体的には「被差別部落出身者であること」という属性を絶対視する発想に基づいています。そのことはWikipediaに転載された灘本昌久の発言によく出ています。

 

 

京都産業大学の灘本昌久は被差別部落民を祖先に持ちつつ当人は被差別部落出身ではなかったが、部落解放運動の内部では部落民として扱われ、「部落解放運動をやる上では、部落出身であるというお墨付きは非常に有効でして、運動の中では非常に発言権を認められることになった」「私が今まで、部落解放運動の中で自由に発言し、部落解放同盟に対してはっきり批判的なことを言っても、それほど重大事には至らなかったが、それは「部落民」の看板があったことにもおおいに助けられていたと思う。これが一般の人で同じような発言をしていたら、たちどころに「差別発言」として、問題視され、糾弾されていたに違いない。部落外からのまっとうな批判に対して、 部落解放運動が「差別者」のレッテルを貼って、口を封じ、職を奪ったり社会的に抹殺した例は枚挙にいとまがないほどである」と述べている。

 

 

※オリジナルの出典は前半がカトリック大阪教会管区 部落差別人権センターたより 夏号12年7月NO.29、後半は自由同和会機関誌『ヒューマンJourmal』第213号、2015年6月。

 

 

私も部落解放同盟のある部分については批判的なことを以前から書いていますが、一度も抗議されたことはありません。たんに影響力がないので、相手にされていない可能性も充分あって、大学の研究者や売れてる物書きだとまた事情は違いましょうが、私程度の物書きが、この程度の批判、かつこういう切口での批判で部落解放同盟が糾弾してくるようなことはまずないでしょう。糾弾闘争が盛んだった時代だったら私程度でもやられたかもしれないですけど、そこはよくわからない。

また、身内じゃないから反発するのではなくて、身内からの異論の方が嫌がられることもあります。「すこたん企画」が他の「オカマ」表現はスルーして週刊金曜日に抗議したのも身内感があったからだろうと想像しています。

「身内」と見なしたところから異論が出ると、「裏切られた」との感情が生じますし、内部の敵は自身の存在を直接に脅かすので目障りです。糾弾というよりも、疎んじて、結果、排除することになりやすいようにも思いますが、部落解放同盟は外に向けてだけでなく、内部に対する追及も厳しいという話を聞いたことがあります。内部にも外部にも厳しいのは首尾一貫しているという点では悪いことではないと思いますが、どういう対応になるかはケースバイケースか。

その辺の実情はわからないところがありますが、いずれにせよ、ここでは被差別者か否か、どの程度の被差別者かによって線引きがなされる点が重要です。これは朝田理論からすると必然かと思います。

 

 

部落民の定義

 

vivanon_sentence角岡伸彦が著書『はじめての部落問題』で一章費やしているように、「部落民」(角岡氏の表現をここでも使用)の定義は複雑かつアバウトです。これを読んでもよくわからない。

被差別部落は同和地区と言われる場所を指します。そこで暮らす人が部落民ということになります。ここまでははっきりしてますが、先祖代々住んでいる人、親の代から住んでいる人、自分から住み出した人、親の代から外に出た人、自分から外に出た人たちもいます。

 

 

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