松沢呉一のビバノン・ライフ

昭和36年に使用されていた「S・Mクラブ」という言葉—SMクラブができるまで[下]- (松沢呉一)-3,601文字-

三島由紀夫が作り出した秘密パーティ・ブーム—SMクラブができるまで[中]」の続きです。

 

 

 

イタリア発祥の「掟遊び」に興ずるサークル

 

昭和三十年代のvivanon_sentenceSMクラブ、あるいはSMサークルの痕跡を昭和三十年代のエロ雑誌や週刊誌を調べているうちに、やっと見つけた。「アサヒ芸能」昭和三四年九月六日号掲載の「異常地帯の掟」がそれ。

この年、イタリア映画「掟」(監督:ジュールス・ダッシン、出演:ジーナ・ロロブリジーダ、マルチェロ・マストロヤンニ)が日本公開されて話題になっていて、それに引っかけた記事である。

この映画は、酒場で大人たちが興ずる「掟遊び」から起きる悲喜劇を描いたもの。「掟遊び」は参加者の中から親を決め、親は子どもを徹底的にからかい、罵倒し、秘密をばらし、子どもはそれに抵抗ができないという遊び。

イタリアではこの遊びが流行して、第二次世界大戦中、ムッソリーニが法で禁止し、映画でも違法な遊びとして描かれている。にもかかわらずブームは広がって、敵国であるフランスやアメリカにまで広がったそうだ。

この記事によると、「掟遊び」の歴史は古く、黒ミサにまで遡る。ここでは悪魔の役を選び、奴隷たちは悪魔の命令に服従する。その命令も過酷で、奴隷の一人が、「他の参加者の妻を犯せ」と命じられたら、その場で実行しなければいけない。

これは王様ゲームの原型である。合コンで黒ミサをしていたのか。

この記事は、日本でも「掟あそび」に興じているグループがあると報じており、この「白い夜の会」がやっているのは、SMパーティそのものだ。

 

 

十畳のタタミが全部裏返しに敷かれ、(略)床の間に等身大の十字架が逆さに立てかけられそれを背にして親が座る。(略)小道具として蓄音機、手斧、皮ひも、赤、黒、青、紫などの絵具(染料?)浣腸器、メス、竹かごに入れられたニワトリなどが雑然と置かれ、出席した男も女も裁判官の法衣のような灰色の上っ張りをつけている。

 

 

千束にある洋食屋の二階の和室であることを除けば、まさに黒ミサ。黒ミサなんてよく知らないが。

 

 

白い夜の会

 

vivanon_sentence十畳の部屋に七人もの参加者が集まっていて、親の役はこの場所の提供者である洋画家。他に男の参加者が三名いて、それぞれ歌舞伎俳優、会社重役、大学教授。残りは女で、歯科医とバーの経営者と十七歳のヌードモデル。

親に命じられてバーの経営者がニワトリの首を斧で切断。続いて会社重役に命じて、歯科医の首を絞めさせる。すると、歯科医の口から義眼がポロリと落ちる。彼女の夫は空襲で亡くなり、焼け跡から夫の義眼を掘り出して接吻をした時に興奮を覚えて以来、彼女は義眼を口に入れる性癖がある。

このあとは裸になったモデルの少女を縛り、鉄板の上に立たせて、鉄板に電流を流す。これはドイツのゲシュタポが考案した拷問道具。

これまた「ホントかいな」と思わないではいられないのだが、どうもホント臭い。というのも、会場となった洋食屋の写真や見取り図まで出ていて、この会についての詳細も出ている。これがリアルなのだ。

この会の主催者は洋画家ではなく、雑誌の編集者。この人は「奇譚クラブ」や「裏窓」の読者欄を見て、異常者の需要を満たせば儲かると考え、金があって身元が確かな十人のメンバーを一年がかりでリストアップし、さらにモデルを確保するにも一年をかけて、「白い夜の会」をスタートさせた。

 

 

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