松沢呉一のビバノン・ライフ

毎年9月28日は世界避妊デー—心のナチスも心の大日本帝国も抑えろ[3](松沢呉一)-3,383文字-

人口は世界規模で取り組むべき課題—心のナチスも心の大日本帝国も抑えろ[2]」の続きです。

 

 

 

ナチス方式ではないHIV・エイズの対策

 

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HIV・エイズに関する動画史」シリーズはもともと昨年のTOKYO AIDS WEEKS 2017の出し物として実施したイベントを文章化し直したものです。

TOKYO AIDS WEEKS 2017では、HIV・エイズのCMを素材にして、その対策やとらえ方がどう変化したのかを見るとともに、コンドームについてのヨーロッパや米国、オーストラリアの多様な表現と、日本や韓国の画一的な表現とを比較して、そこにセックスがどう表現されているのか(日本や韓国ではセックスは直接には表現されない)、ゲイはどう表現されているのか(日本や韓国では表現されない)を浮き上がらせる意図でした。

端的にまとめれば、欧米ほかの地域ではセックスは善として描かれます。夫婦間であっても、未婚のカップルであっても、婚姻外であっても、男性間であっても。肯定的とまでは言えずとも、そこに道徳的な判断は加えず、フラットな行為として登場し、それを妨害する悪としてHIVが描かれます。時代によっても違うのですけど、今世紀に入ってからのものはそれが主流です。

これはHIV対策の基本的な考え方に則っています。道徳のために病気を利用することになってしまうので、性行動を否定することはそれ自体避けなければならないのと同時に、HIV対策にとってプラスになることは何もなく、潜在化することで啓発活動ができなくなり、感染を拡大させます。

もしこれがナチス政権下であれば民族の血を汚す存在として感染者は抹殺され、ハイリスク・グループとして同性愛者や売春婦も抹殺されたでしょう。HIVなんてものがなくても抹殺されたわけですが。

「ナチスにならないように」としてHIVの問題から目を逸らすことに意味はない。問題を直視することでしか適切な対策はとれないのです。

なお、ナチスの強制収容所の識別で、ピンク・トライアングルは男性同性者であったことはよく知られてますが、女性同性愛者、売春婦、産児制限をした女はブラック・トライアングルでした。ナチスは不適格者に断種手術を行う一方で、避妊した女は売春をすることと同じく反社会的な存在として抹殺したわけです。

Chart of concentration camp badges worn in Dachau, c. 1936.

追記:日本語版Wikipediaには「産児制限をした女性」と出ているのですが、避妊しただけで収容所に入れるのはいくらなんでもって話だし、警察なりなんなりがそのことを知ることは限りなく難しいため、産児制限運動を主導したような場合か、堕胎のことではないかとも思い(堕胎は施術者だけでなく、堕胎した女性も懲役刑)、英語版の「Nazi concentration camp badge」「Black triangle (badge)」を確認したところ、どちらにもそのような記述は見当たらず、ドイツ語版の「Asoziale (Nationalsozialismus)」も同様です。参考資料として挙げられているリンク先の文献は削除されているようで、確認できませんでした。日本語版がオリジナルである英版・独版より詳細かつ正確ということはありそうにないですが、わざわざこの項目を根拠なく加えることもまたありそうにないので、そのままにしておきます。なお、英版・独版によると、女性同性愛者が収容されていたことは間違いないとして、それが理由なのか、それ以外の理由があったからなのかについては議論があるとのこと(さらに追記。同性愛を禁止する刑法175条は男同士の同性愛と明記されているため、女の同性愛者は対象ではありませんでした。よって、法的に見ると、ユダヤ人や政治犯の中にいたこと、男がいないために収容所の中でそういった行為をするのがいたことが推測できるだけですが、ゲシュタポが法を厳守していたとも思えないため、可能性はゼロではない)。

 

 

ガラパゴス化が続く日本

 

vivanon_sentence日本でもエイズ予防財団が関与する公共広告では性行動を否定するような表現はないのですが、とくにここ何年かは著名な人が検査をすることを勧める路線になっていて、そもそもセックスを直接描くことをしませんから、否定するも肯定するもない。同性愛者も存在しないがごとくです。

これは茶の間への遠慮なのか、テレビのコードにひっかかるのかどっちかわかりませんが、以下の曲で日本の一般的な意識がわかります。

 

 

 

 

幼なじみが結婚する際に検査をしたら、男がどこかで感染していたことが発覚。それを「あやまち」として描いています。コンドームをつけなかったことを「あやまち」としていると言い張ることもできましょうけど、「生まれ来る子供たちのために」というタイトルからしても、セックスは処女と童貞の一夫一婦制の中で子孫繁栄のためにやるべきものであり、そこから外れるのは誤りだというメッセージがあると見ていいでしょう。くだらない。

2012年のものらしいですが、世界の潮流から20年くらいズレてます。YouTubeという便利なものがあるのに、どうして海外のものをチェックしてから曲作りをしないのですかね。それでもこういう試みは「やらんよりはやった方がいい」くらいのことは言えるとしても、とても推奨はできない。

 

 

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