松沢呉一のビバノン・ライフ

投稿数を増やすことに意味があるTwitterと意味がないFacebook—インターネットより狼煙の時代[5](松沢呉一)-2,887文字-

TwitterとFacebookではセックスの仕方が違う—インターネットより狼煙の時代[4]」の続きです。

 

 

 

Facebookでは投稿数を増やすことに意味がない

 

vivanon_sentenceFacebookでは、アルゴリズムによってタイムラインが支配されているので、投稿がきれいに時系列に並びません。Facebookを始めた時の最初の戸惑いがこれでした。どうなっているのかと。今もよくわかりません。

連続で大量の投稿をするとひとつにまとめられたり、アクションを起こしていない「友達」の投稿はタイムラインに表示されにくくなったりもします。興味が薄いと表示されないのは親切ではあるのだけれど、どんどん内容が偏ることにもなります。

こういう機能になっているため、無闇に投稿数を増やすとかえって読まれなくなります。内容を吟味して数を絞った方が読まれるのです。ここはFacebookのいいところです。

対してTwitterでは「フォロワーを増やすためにツイートをする」「反応が欲しくて多数のツイートする」という感覚があって、そのために投稿数を増していくことになり、投稿の質が保たれません。これが加速していくと、やがてはデマでもいいというところに至ります。

自己承認という目的にとっては、1日かけて事実関係を確認した情報よりも、1分で作ったデマの方が価値が高い。だいたいの場合、デマの方が面白いわけですから、丁寧に裏をとった事実の数倍の反応があり、なおかつ時間は1分しかかからない。拡散されればフォロワーも増える。

デマでもいいとはっきり自覚しているわけではなくても、あるいはデマはいけないと自覚していてさえ、そういう行動に陥りやすい。周りも同類ですから、デマでも同意し、利用してくれる。「ベルク炎上騒動」はその典型でしょう。

ついでに書いておきますが、「ヘイト」という言葉を取り違えた人たちも、もう一度相手の文章を読み直して、自分の間違いに気づいたら、撤回した方がいいと思います。比較的瑣末なことではありますが、それをもって批判したのであれば撤回するのが筋です。そうしないと相手を批判する資格がなくなります。

※このシリーズを書くに当たって、SNSについてのデータが欲しく、Amazonで探したところ、佐々木裕一著『ソーシャルメディア四半世紀:情報資本主義に飲み込まれる時間とコンテンツが役に立ちそうです。データが出ていればビジネス書でもいいんですけど、どうせだったら読物としても面白い方がいい。と思いつつ、結局、読んでないですが。

 

 

FacebookとTwitterを支配する規範の違い

 

vivanon_sentenceFacebookを支配する規範は第一に生身の人間同士の規範であり、隣近所、同窓会、同僚といったコミュニティのしがらみの延長にあります。もちろん、誰を「友達」にしているかに左右されるのですけど、自分がどうしてようと、全体としてはそこに一定の重きがあります。だから挨拶くらいはしなければならないと感じる人たちが出てくる。

対して、Twitterでは、それがない分、しがらみを逃れた自由を獲得できるはず。しかし、現実にはそうはならない。ここではリアルな社会とはまた別のしがらみが支配します。

 

 

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