松沢呉一のビバノン・ライフ

漏電しやすいFacebook鉄道・暴走しやすいTwitter鉄道—インターネットより狼煙の時代[6](松沢呉一)-2,691文字-

投稿数を増やすことに意味があるTwitterと意味がないFacebook—インターネットより狼煙の時代[5]」の続きです。

 

 

 

Twitter鉄道は速さが自慢だれけども

 

vivanon_sentenceよくSNSは「電車のよう」「路上のよう」と言われるわけですが、それはクラスターができる前の状態であり、ずっと電車に乗り合わせていると、話の合う人たちが集まりだし、「あいつ、うぜえ」とその車両から追い出されるのが出てきて、車両単位で色分けがなされ、排他的なムラと化します。

似た者同士ですから、この車両の中では互いを肯定することになります。それぞれの車両で、互いが互いに同意し、互いを褒め合っている。異物はこの心地よさを維持する均質性を壊すため、全体で排除する力が働きます。

現実の電車ではこんなことは起き得ません。会社でも、隣近所でも起き得ない。だからこそ、SNSは居心地がいいのですが、その居心地のよさを失わないため、周りに同調するようになります。

その同調圧力がSNSによって違って、実名のFacebookでは、生身の世界のしがらみが先に支配しています。

対してTwitterは匿名性が強い。どこの誰かわかる相手でもハンドルネームを使い、顔を出しておらず、正確なプロフィールを出してなければ匿名に限りなく近くなります。

よってTwitterの方が自分に合致するかどうかでフォローする相手を決定しがちであり、クラスターに偏りが出ます。その結果、趣味嗜好、主義主張の均質化の規範力が強まります。

Stromae「carmen」よりクラスターが暴走し始めたところ

 

 

間違いを認めさせないクラスター・プレッシャー

 

vivanon_sentence間違いが撤回されない事情—本当に児童生徒の読解力は落ちているのか?[5]」では、デマを撤回しないのは、「嫌われるのが怖いタイプの人たちが集まるクラスターがある」という見方を示しました。クラスターごとにその性質が違い、TwitterでもFacebookでもそうなりにくい人たちはそうなりにくい人たちで集まりやすい可能性がありますが、仕組みとしてSNSではこういう力が働きます。

その傾向が強いクラスターでは、優先されるのは「事実か否か」ではなく、「クラスター内秩序」「クラスター内の平安」であり、その中での自分の居場所確保です。だから、デマはなかなか訂正されない。

ただでさえ自分の間違いは認めにくいものではありますが、デマを訂正して撤回すると、そのデマに同意していた人たちを否定してしまうのです。そのクラスターにとって都合がいい情報だから伝播されたのであって、その否定はクラスターの合意を裏切ります。

デマだと気づけない人、確認をしない人たちがそれに基づいたツイートをすればするほど、クラスターを裏切ることになるので、時間が経つほど間違いを認められない。

こういうタイプの人たちこそがこのクラスターから離れられない。

新宿ベルク炎上騒ぎ」はとりわけ質の悪い人たちが集まったムラの住民が乗り合わせた列車が暴走した結果だと言えますが、それが起きたのはTwitter鉄道だったからだと思います。あの鉄道は速さが長所ですけど、それだけに暴走事故が多過ぎて、私はきれいにFacebookに乗り換えたのであります。そしたら、こっちは漏電しっぱなし

※読んでないですが、『ソーシャルメディア四半世紀』の著者の共著本。

 

 

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