松沢呉一のビバノン・ライフ

つまらん結論でホント申しわけない—インターネットより狼煙の時代[8](最終回)(松沢呉一)-3,058文字-

FacebookよりTwitterが強い日本の特性—インターネットより狼煙の時代[7]」の続きです。

 

 

 

一対一で話すべし

 

vivanon_sentenceこれを書いていて思い出したことがあります。SNS上でバトルになった時は、タイムライン上でやらず、メッセージでのやりとりに移行した方がいいという知恵です。

私は「表で始めたことは表で結末をつけるのが筋」と思っています。それを見ている人たちがいるのだから、その結末まで見せるべきだろうと。とくに議論が成立している場合はそのままやればいいと思うのですが、メッセージの方が冷静になれることは理解できます。

つまり、クラスターの目があると、間違いを認めて謝ることができにくくなるわけです。「世間の目が怖い」という状態です。

現実に攻撃的なネトウヨとメッセージでやりあうと、案外素直に話を聞くという話も聞きました。ヘイトデモに参加しているようなヤツでも、全員ではないにせよ、話し合いは可能であり、私自身、何度か電話で話しているうちに、デモに出なくなったのがいます。一対一の強さです。

ベタな結論ですが、人と面と向かって話すことが大事です。それがすべてではないですが、それも必要。

バトルではなくても、一対一なら言えることが、集団の中では言えないことがあります。クラスター・プレッシャーです。数十という単位、数百という単位の人のプレッシャーがかかってくるSNSは集団の関係が個人と個人の関係の障害になる典型例でしょう。小学三年生に教えられた知恵です。

「ヘイト」の意味を巡る対立—言葉を理解できていないのはどちらか」に書いた彼も当初は私や他の人の指摘を無視していて、だから私はさらに強く指摘したのですが、ブロックはせず、最終的には自分のミスを認めていたのは生身でのつながりがあったためかと推測します。それがなければブロックされていたかも。

クラスター・プレッシャーに対抗できるのは生身の関係です。間違いをしてしまった時に、注意をしてくれる生身の知り合いがいない人たちが、デマを放置するのかもしれないとも思います。あるいは生身の知り合いの間でも注意できる関係を作っていないのか。

SNSを通して知り合った関係だと、生身で会っていても同じクラスターですけど、そこで注意し合える関係を作っていけるかどうかが重要な鍵になりそうです。

ストロマエ(Stromae)「carmen」より。この時、Twitterを閉じていればあんなことにならなかったのに。

 

 

ある投稿

 

vivanon_sentenceつい数日前の深夜、Facebookで知人が長文の投稿をしていました。いい内容だったので、シェアしようと思ったらシェアができない設定になっていて諦めたのですが、見事に私がこのところ考えていることに合致する内容でした。たぶん彼は「ビバノン」を読んでいないと思うので、自然に同じところに行きついている。

 

 

next_vivanon

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