松沢呉一のビバノン・ライフ

絵のデフォルメ・言葉のデフォルメ—群衆心理に打ち勝つ方法[4](松沢呉一)-2,694文字-

誰も偏見から逃れられない—群衆心理に打ち勝つ法[3]」の続きです。

 

 

 

簡略化・普遍化・誇張

 

vivanon_sentenceたとえばAというスーパーに行って、卵10個入りパックが100円だったとします。スーパーBでは150円だったとします。少なくともこの範囲ではAはBより安い。しかし、我々はその範囲を超えて、しばしばスーパーA全体の評価として「安い」と認識します。これも普遍化です。

卵から、他の商品も安いと類推することは可能ですが、ただの類推に過ぎません。それでも、どうしてもそこからの拡大をしないではいられない。だから、各スーパーは卵やトイレットペーパーのような購入頻度の高い商品は儲けなしで販売して客寄せをするとともに、「うちは安いよ」とアピールするわけです。

ここではスーパーAとスーパーBの比較に過ぎず、行ったことのないスーパーCは80円で売っているのに、知らなければ想像もしない。ただの比較、ただの程度の問題でも、Aは安いという評価をする。「ある部分をもって全体に敷衍する」という発想は避けるべきこととも思えますし、その間違いがはっきりしている場合になおそれをやるのは時に悪質ですけど、どうしてもこういう発想をしてしまうのです。

インターネットより狼煙の時代」シリーズで、さんざんFacebookの特性とTwitterの特性を書いてきましたが、ここでもどうしたって普遍化、一般化をしてしまいます。ある一例で全体を見る、傾向の差を特性とするといったことです。誇張と言える表現になっていることを私も否定しません。極力それを避ける表現をしているつもりですが、限界がありますし、そうしたところで、受け手は簡略化して受け取ります。私はそこまでは書いてないですが、「Twitterは人をバカ化する道具なんだな」「Facebookは尿漏れする人が使っているんだな」と。

人に対しても同じです。たとえば人生で一度きり会ったインド人がいて、そいつが狡猾で、金を騙しとられたとします。そうすると、「インド人は狡猾だ」と思ってしまいます。これも普遍化。それに対して、「そんなことはない。インド人は親切だ」と反論するのがいます。そいつも一回こっきり会ったインド人は親切だったことが根拠です。こちらも普遍化させていて、偏見のぶつけ合いなのです。

「インド人はいろいろ」というのが正解ですが、我々はステレオタイプ化すること、すでにあるステレオタイプに頼ることで、その対象が属するグループの性質を比較としてピックアップしたり、誇張したりしながら浮かび上がらせて、脳内の情報整理をしているとしか思えない。

この特性を強化しているのがSNSであり、とくにTwitterだと言えます。

1941 WW2 USA AMERICA ANTI NAZI AXIS GERMANY HITLER JAPAN TOJO HIROHITO Postcard このタイトルはeBayに出品した人がつけたものでしょうが、トージョー・ヒロヒトって誰だよ。東条英機も昭和天皇も眼鏡はかけてましたけど、歯は出てないかと。ヒトラーは似せているのに、日本人のステレオタイプそのものになっていて、前回の絵よりさらく憎々しい。

 

 

先入観は情報伝達、情報整理に欠かせない

 

vivanon_sentence「今度友だちを紹介するよ」と言われた時に、ぼんやりとその人物像を想像します。いざ会ってみたら、「コートジボアール人の両親のもとにパリで生まれて育ったフランス人で、米国スタンフード大学に留学して、アジア文化を専攻してタイの仏教研究で博士号をとり、米国で女性と同性婚をし、現在鎌倉で研究しつつ、コンビニでアルバイト中の31歳」という女性だったとしましょう。

 

 

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