ネトウヨの振り見て我が振り直せ—群衆心理に打ち勝つ方法[9](松沢呉一)-2,841文字-
「集合愚を加速させるSNS—群衆心理に打ち勝つ方法[8]」の続きです。
ネトウヨだけのはずがない
ここまで書いてきたことからすると、「在日認定」に対しては「いや、違います。私は日本人です」と主張して、ステレオタイプの修正をすればいいはずです。その修正がなされることで、たとえば「在日特権なんてない」と言っているのは在日であるというステレオタイプが壊れる。
しかし、いくらそれを言ってもクラスター・プレッシャーによって認められない。こういう場合はプレッシャーがかからないところで一対一で話すのが有効。
それ以前に反差別のクラスターでは「日本人であることを主張するな」というプレッシャーがかけられてきました。これはSNS以前からあった考え方でしょうけど、こちら側でも「在日認定」というステレオタイプを壊すことを許さないプレッシャーがかかるため、こっちもそこから離れて単独でいることが必要になります。
あっちのクラスターもこっちのクラスターもプレッシャーだらけ。SNSは集合愚でがんじがらめ。
「インターネットより狼煙の時代」で見てきたように、FacebookよりTwitterの方が文字数が少ない点、匿名のアカウントが可能な点、アカウントとアカウントとがつながりやすい点、情報が流れやすい点、生身の人間関係がセーブしにくい点において、心理的群衆が作られやすいと言えます。
同じツールを使っている以上、これはネトウヨ特有に起きることのはずはなくて、どんなクラスターでも起きる可能性があります。
「それはおかしい」と言える人たちが比較的多く集まっているクラスターではおかしなツイートは拡散しにくいわけですから、「在日認定」が成立するのは相当にリテラシーの低い集団が構成しているクラスターであることは間違いないとして、ネトウヨと言われる層以外でも、同様の条件が揃えば同じようなことが起きることは「新宿ベルク炎上騒動」でも明らかです。
どこのクラスターでも起き得ること
ネトウヨの「在日認定」を批判する人たちが多い反レイシズム・クラスターにおいては映画「レイシストカウンター」を思い返していただきたい。SNSがなかったらああいう映画ができなかったのか、できたとしても協力するのがそうはいなかったのか否かについては検証しようもないですが、かつては団体、組織というものが方向づけをして、構成する人たちを縛っていたのが今はクラスターがその役割を果たしているとは言えそうです。
団体や組織が間違えることもありますが、クラスターも間違える。熟考、検証、検討、議論みたいなものがなされにくい分、後者の方が安直な方向に動きやすいようにも思えます。
明らかな著作権侵害の映画であるにもかかわらず、弁護士もこれに協力しています。
神原元弁護士は映画上映のトークイベントに出演し、諸岡康子先生は出演までしています。あの映画を観てどうとも思わなかった鈍感な人がヘイトスピーチの処罰を求める怖さを実感していただきたい。
どうなっているんだという話ですが、自分らの正しさを確信してしまうがために思考停止をして、クラスターの多数派、クラスターの流れに委ねて、判断の放棄、批判の放棄が起きてしまったのでしょう。
私はよく「お約束」という言葉を使いますが、お約束として成立すると、それに異議を唱えるのが難しくなります。「反レイシズムは正しい」というお約束が成立しているクラスターでは、間違った反レイシズムでも容認されてしまいます。
「ヘイト」という言葉の解釈で相手をバカにして叩く作法もそういうものだったのでしょう。「自分らの使っているヘイトが唯一絶対の意味であり、敵はつねに間違っている」と思い込んだ結果です。
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