新たな群衆へ—群衆心理に打ち勝つ方法[10](最終回)(松沢呉一)-3,153文字-
「ネトウヨの振り見て我が振り直せ—群衆心理に打ち勝つ方法[9]」の続きです。
専門分野を持つべし
ル・ボンは「推理」「推理力」という言葉をよく使っていて、これは洞察力といった意味合いかと思います。今で言えばリテラシーです。「リテラシーが働くのは専門分野だけ」「リテラシーを働かせられるのは専門家だけ」とまでは言い切れないと思いますが、専門分野では冷静に判断しやすい。だから、専門家は発言をすべきです。専門家だからと言って盲信するのはよくないですが。
大学で教鞭をとっている専門家、国家資格をもっている専門家だけが専門家だけでなく、長年蓄積した知識と体験があればその分野では専門家です。魚屋は魚の専門家、大工は家の専門家、サッカー選手はサッカーの専門家です。
趣味の分野であっても、専門家はだしの知識や体験の蓄積がある人たちはたくさんいます。そういう人たちは群衆内で自分を見失わない。サッカーファンはサッカーの知識があっても、熱狂の中でよく自分を見失ってますが。
生物学を研究したことがなくても、何冊か関連書を読んでいれば竹内久美子のおかしさには気づけますけど、私程度では、「常套句」をSNSで猛スピードで情報を転がしているだけだと流されることもありましょう。だから、専門外については安易に触れない方が無難ですし、猛スピードの情報についていかないように心掛けています。
と書いて思ったのですが、仕事であれ、趣味であれ、これといって蓄積された知識や体験がない人もいて、そういう人たちは触れられることが何もないのか。だったら、「今日は何食った」「今日は誰々と会った」「今日はこんなテレビを見た」と書いていればいい。事実、大半の人はそうしています。もしそれ以上に触れたくなったら、何日かかけて調べてからにしたい。
今の時代であればできるはずのこと
『群衆心理』を読んでいて思ったことは、今の時代に個人でいられることは難しいってことです。私は外ではネットを見ないとずいぶん前に決めていて、今はスマホも持って出ないことが多いので、少なくとも外では個人でいられますが、ネットにつながっていると、心理的群衆の中にいることになりやすい。
2011年以降の社会運動のありようを群衆(crowd)ではなく雲(cloud)だとした私のポエムがありますが、時間が来ると雲散霧消して個に戻る様をそう呼んだのは間違っていたかもしれない。雲散霧消して一人になってもSNSでつながるcrowdなのです。
「「Twitter社会運動」の反省点—ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[12]」「「BAN祭り」にリスクなし —ネトウヨ春(夏)のBAN祭り[13]」にも書いたように、私なりにTwitter社会運動に対する反省点があります。あれだけでなく、あの先にさらにあります。
それらの反省点において、群衆心理が影響していたと断定はできないですが、一切なかったとも思えない。とくにカウンター行動においては最初から軽卒なタイプが集まっていたとも言えますが(私を含めて。そうじゃないとやらんでしょ)、軽卒であってはいけない立場にいるのに、その軽率さをセーブできなかったのが出てしまったのはやっぱり群衆心理が影響していたのではなかろうか。
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