松沢呉一のビバノン・ライフ

ステレオタイプを書き換える文化の力—群衆心理に打ち勝つ方法[7](松沢呉一)-2,997文字-

日本人のステレオタイプから出っ歯が消えつつある—群衆心理に打ち勝つ方法[6]」の続きです。

 

 

 

出っ歯から細い目へ

 

vivanon_sentenceひとたび定着したステレオタイプはそう簡単には消えない。しかし、確実に変化していきます。

日本人であることを表現する出っ歯のステレオタイプは今現在も残ってますが、絶対条件ではなくなってきていて、アジア系に対するステレオタイプとしては「目が細い」「目が吊り上がっている」に重点が置かれてきています。

出っ歯は「んなことねえだろ」と思いますけど、目については眼窩との関係や一重が多いこともあって、細くて吊り上がっているように見えるのはやむを得ない。ここでもより納得しやすく、現実に近い方向に修正が少しずつ行われています。

以下はアジア女性をステレオタイプに見ることを批判する記事に添えられているイラスト。

 

 

 

 

この記事の意図とは真逆に、私は素晴らしいと思いました。

 

 

ここまでアジアに対する理解が進んでいる

 

vivanon_sentence私はイギリス人とフランス人とイタリア人の特徴をこうも鮮やかに区別できない。それでもそれぞれの国の位置関係くらいはわかりますし、文化的違いもある程度はわかります。日本人の標準かと思います。

しかし、木野トシキのいるエストニアがどこにあるのかもわからない人が日本では多いのではなかろうか。「東ヨーロッパのチマチマしたところのどっか」くらいの理解はあるとして。

私はケルリが好きなので、少しはエストニアについての理解がありました。

 

 

ケルリのこういうところが好きなわけではないのですが、この曲はとくに北欧イメージですわね。

頭から鹿の角を生やすのは北欧イメージを強調するミュージシャンがよくやっていて、たぶん神話、伝説の類いにプロトタイプがあるのでしょう(下のSSはHeilungのボーカルMaria Franz。ステージではいつも角が生えてます。ふだんも生えているのかもしれない。寝る時邪魔。Heilungはドイツとデンマークの混成ですが、北欧イメージにいろんなもんが入っていてメチャ面白いバンドです)。

私にとってのエストニアはケルリによって作られたイメージにほぼ支配されていて、エストニア人はみんなケルリみたいだと思ってましたが、木野トシキが報告してくることによって現実に近づいて、つまらなくなりました(笑)。表現物によって作られたステロタイプが壊されたわけです。

そういう接点がある人はまだしもとして、エストニアとエリトリアと区別できない人だっていそうです。

 

 

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