松沢呉一のビバノン・ライフ

肉と肉のぶつかり合い—伊藤野枝と神近市子[9]-[ビバノン循環湯 468] (松沢呉一) -5,710文字-

キリスト教教育と「新しい女」の対立—伊藤野枝と神近市子[8]」の続きです。

 

 

 

大杉栄が神近市子に惹かれたところ

 

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日蔭茶屋事件」を成立させたのは、平塚らいてういわく「宗教的偽善者」であった神近市子の性格と行動があったのに加えて大杉栄の甘さです。

大杉栄はそれ以前から「殺されるかもしれない」と予見できていました。日程までは決めていなくても、神近市子が来ることはわかっていたのですから、日蔭茶屋に伊藤野枝を連れて行くようなことは避けるってもんでしょう、慎重な人なら。大杉栄は剛胆で鷹揚な人間であると同時に鈍感な人でもありました。

大杉栄は、神近市子、そしてわずかな間に伊藤野枝と肉体関係になった経緯をこう説明しています。

 

 

 かくして、もう何にもかも失ったやうな僕が、其時に恋を見出したのだ。恋と同時に、その熱情に燃えた同志を見出したのだ。そして僕は此の新しい熱情を得ようとして、殆んど一切を棄てて此の恋の中に突入して行った。

其の恋の対象がこの神近と伊藤とだったのだ。が、その恋ももう堕落した。僕等三人の間には、友人又は同志としての関係よりも、異性または同性としての関係の方が勝って来た。そしてその関係がへたな習俗的なものになりかかっていた。

 

 

雑誌が次々と発禁になり、次の雑誌を出そうにも同志らは頼りにならず、金もない。自暴自棄になっている時に二人と関係が始まっています。だいたいこういう時はこういうことをやりがちで、だいたい失敗することになってます。

これは日蔭茶屋で、三人が気まずい雰囲気の中で同席している時に出てくる文章。気づくのが遅えよ。

そこから完全に自由だったとも言えないながらもそうであらんとした伊藤野枝はともかくとして、神近市子は最初から習俗的な関係を大杉栄に求めたのだろうと思います。

神近市子ははっきりとそう書いているわけではないのですが、それまでに恋愛はあっても、大杉栄と出会うまで処女だったと読めるようなことを書いています。大杉栄の記述を見ても怪しくはあるのですけど、もし本当だったら、大杉栄の悪辣さを強調するためにはっきり書いたようにも思います。ただ、この当時としても、二七歳の処女はありがたみがなくて、それを書いたところで、「いきそびれただけだろ」「よっぽど面相が悪いんだろ」と言われたでしょうから、実際に処女だったのかも。

もしそうであったのなら、これもおそらく宗教的抑圧によるものでしょう。この周辺の人たちはとくにそうですが、一般的にもこの歳の処女をありがたがるなんてことはほとんどなかったはずです。ありがたがるのは宗教者くらい。それ以外の人たちはやりたかったらやるってもんです。

平塚らいてうはその目を「彼女がいかにパッショネートな婦人であるかを示したもので、絶えず涙ぐんでゐるやうな一種異様な刺激的な光は、何となく不安なやうな、恐ろしいやうな危険性を潜めて居ました」と表現し、「彼女は既に性の苦悶を経験した婦人だといふことを直覚した」と書いていたわけですが、この葛藤は「宗教的抑圧」と「性欲の強さと好奇心」との葛藤であって、行動としては抑えていながらも、目からエロが溢れている状態だったのかとも想像します。

キリスト教の抑圧から逃れるためには、別の強い存在が必要で、彼女はキリストの代わりに自分を導いてくれる存在を求めて青鞜社に関与したのでしょうけど、しょっぱなから前のめりになって暴走し、元のヤン坊マー坊に戻ってしまいます。

それでも相当に優秀だったらしく、青鞜社社員にはなりますが、津田梅子という「ヤン坊マー坊界」の重鎮に叱られて、「チン坊マン坊界」から遠ざかり、新聞記者になることでやっとヤン坊マー坊から解き放たれて、次のグルを探していたのでありましょう。その表示が派手な半襟と化粧です。

そこにまんまと食いついてきたのが大杉栄でした。神近市子にとってこのグルは申し分がない存在でした。

神近市子は今もよくいるタイプです。名を知られ、日本を変革するかもしれない存在に認められる自分が好き。その人の生活を支えることができればいよいよ自分の存在価値が高まる。思想に恋したのでなく、存在に恋をしたのです。もしくはそうである自分に恋したのです、たぶん。

Wikipediaより1921年頃の大杉栄

 

 

社会主義者たちのゴシップ手法

 

vivanon_sentence大杉栄がこういう関係に突入していったのはもともとの彼の思想的帰結および鈍感さであることとともに、活動家としての計算があったかもしれない。

明治・大正・昭和歴史資料全集. 犯罪篇 下卷』掲載「神近市子」に裁判でのこんなやりとりが出ています。

 

 

裁「やす子はお前との関係を知っていたか」

市「大杉が話したそうです。其時私は秘密にして置いた方が好くないかと言ひました、其後大杉は奇妙な事を言触らしたさうです、其れは人気を博する為めだと知りました」

 

 

「奇妙な事」の内容がわからないのですが、堀保子、神近市子、伊藤野枝との四角関係のことを自ら言いふらしたってことでしょう。これがどうして「人気を博する」につながるのかもわかりにくいのですが、当時の社会主義者たちにはこういう発想があったようのです。

以下は天沼一郎 著『思想はどうなる?』(昭和九)より。

 

 

大杉や堺のゴシップ時代

 

社会主義者の個人的ゴシップ時代が、日本の労働運動の前線に横はってゐ事も見逃す事が出来ない。この当時はまだ彼等の間に社会主義や無政府主義に対する認識も明らかとなって居らず、ただ俺は社会主義者だッとど鳴る位の時代だった。赤旗を電車で打ち振って赤旗事件を起したり、家族主義に捉はれないといふので細君をチョイチョイ取り換へて見たりといふ様な個人的なゴシップによる宣伝が百パーセントの時代で労働者に対する実勢力は大したものでなかった。

当時大杉栄は神近市子と夫婦関係を結んでゐたが、情婦で後の夫婦関係者となった伊藤野枝と葉山の日陰茶屋に宿泊中に神近市子に出刃包丁で襲はれ血だらけで逃げ出したといふのもこの時代であった。当時新聞の社会面の特種記事として大騒ぎを演じられたものであった。かかる情事関係は当時の社会思想家仲間に有り勝ちの問題と一般に看做され白眼視されたものだ。

 

 

新聞でゴシップが取り上げられると知名度が上がる。知名度が上がれば雑誌や本が売れ、講演にも人が集まり、カンパも集まるってことでしょう。

今もこの手法は有効であり、とりわけ「炎上商法」というものに見られるわけですが、今現在の社会運動も無関係でありません。目立つと人が集まり、金も集まりやすいのです。

 

 

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