松沢呉一のビバノン・ライフ

神近市子が殺そうとしたのは伊藤野枝だった—伊藤野枝と神近市子[6]-[ビバノン循環湯 464] (松沢呉一) -5,723文字-

金をめぐる攻防—伊藤野枝と神近市子[5]」の続きです。

 

 

 

神近市子にとっての金の意味

 

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前回確認したように、神近市子が大杉栄に渡していた金は一年弱で五十円程度だと思われます。こんなん、今だって「カンパ」という形で、あるいはメシや酒をおごるという形で、活動家に出す人はいくらでもいます。

高井としをも実情とは違う「糟糠の妻が苦心惨憺して夫の生活を支えた」って話になると、その検証もせずに、「『女工哀史』は共作だった」なんてデマにまで飛躍させる輩が湧いてきてしまって、それ自体、誰も批判しないまままかり通っているように、こういう話ってどうしてあっさり受け入れてしまう人が多いんですかね。「男に尽くす」という望ましき女の道徳に合致していて、なのに期待通りの見返りが得られないことが不安を招くからですかね。

経済的に大杉栄をそこまでもっとも支えていたのは堀保子です。彼女は編集の仕事をしていて、大きな金が入ると大杉栄は金を彼女に渡していたようですが、持ち出した金の方がずっと多いはずです。同情するなら堀保子の方がまだわかります。

神近市子は大杉栄を殺そうとして目立っただけ、大杉栄に対しても裁判においても、その金のことを持ち出し、戦後に至るまで利用されたと主張しただけのことです。ただ、本人としては、その金額の多寡ではなく、大きな意味があったのは事実かと思います。

大杉栄は神近市子との関係が始まり、続いて伊藤野枝と手を握ったことを神近市子に語り、その時の神近市子の内面をこう推測しています。

 

 

が、理屈はまあどうでもいいとして、とにかく彼女は、僕の心の中での彼女と伊藤との優劣を求めたのだ。と同時に又、其の尊敬や親愛の対象となるもの、質の違ってゐる事をも認めたのだ。そして彼女は、此の優越を蔽ふために、年齢の上からの自分の優越を考へ出したのだ。しかし反対に又、彼女より年の多い保子に対しては、彼女は自分の知力の優越を考へてゐた。そしてやはり此の優越感の上から、保子に対してまで姉さんぶった心の態度をもってゐた。此の姉さんぶると云ふ態度には、彼女の性格の一種の任侠もあるのであるが、しかし彼女が其の競争者に対してどうしても持ちたい優越感がそれを非常に助けてゐたのだ。

実際彼女は此の優越と云ふ事をよく口にしてゐた。そして彼女が有らゆる点に於て優越を感じてゐた保子に対しては、ただ憐憫があるばかりで、殆んど何んの嫉妬もなかった。

 

 

ここは女っぽい。私がこれを「女っぽい」と感じるのは、恋愛関係、肉体関係において、こういった優越と劣等によるランクづけをする男はおそらく少ないためです。私自身がそうです。会っている相手がつねに一番。大杉栄タイプ。男で人をランクづけすることがあるとすれば仕事上です。一部上場かどうかで会社を判断する。その会社のランクの中で、この人はその会社の部長か課長か係長かで人を判断する。

対して女は恋愛やセックスにおいて相手が何番目か、それぞれどういう位置づけか、そして、相手にとって自分は何番目で、どういう位置づけかを決めたがるように思います。

二股が発覚して責められた女はどこまでもしらばっくれるか、「あの男が無理矢理に」と男のせいにして、ランクが低いのをあっさり切る。

対して、二股が発覚して責められた男は「どっちも好きだ」なんてことを言って煮え切らない態度をとる。「どっちも好きだ」というのは本心だと思います。それぞれ別であって、優劣はない。

※戦前の日蔭茶屋。おそらく絵葉書でしょう。ここから借りました。大きな旅館や料理屋は絵葉書を作っていて、投宿先からその葉書を使って便りを出したわけです。葉山を代表する存在ですから、葉山の絵葉書セットに入っていたのかもしれないけれど。

 

 

伊藤野枝に対して唯一優位だったのが金

 

vivanon_sentence大杉栄も当初はどちらか一人をとる気はなかったでしょう。ルールに反して伊藤野枝と接近したのは伊藤野枝が経済的に一人では生活できなかったためです。

大杉栄はこう言っています。

 

 

 僕は伊藤の此の覚悟さへ続いたら、則ちいろんな事情がそれを続ける事を許しさへしたら、僕等の三角関係というか四角関係と云ふか、とにかくあの複雑な関係がもっと永続して、そしてあんなみじめな醜い結果には終らなかったらうと、今でもまだ思っている。が、其の覚悟を毀したのは何によりもまず経済問題だった。

 

 

伊藤野枝の「覚悟」というのは一人で生活をすることです。ああなったのは伊藤野枝のせいと言わんばかりですが、伊藤野枝が一人暮らしを貫徹したところで早晩破綻していたろうと思います。神近市子では無理でした。自分がトップじゃないとイヤだったのです。

それが女に偏在する特徴かどうかは置くとして、神近市子は大杉栄を頂点として、自分はその下でもっとも上位に君臨していたかったようです。

堀保子は籍が入ってなくても本妻という座にいますが、あらゆる点で自分より劣っていると神近市子は思ってました。しかも、歳をとっている。

対堀保子においては安定して優越した地位にいたのに、そこに伊藤野枝が現れて、自分の座が危うくなりました。

才気については伊藤野枝の方が上であることを悟った神近市子は、保子に対しては自分の方が若いというところに優越感を見いだしていたくせに、伊藤野枝に対してはまだ若いというところに劣等を見いだし、自身の優越性としたのです。伊藤野枝が辻潤との生活を捨てた一九一六年(大正五)二月の時点で、神近市子は満二七歳、伊藤野枝は二十歳、堀保子は三二歳、大杉栄は三十歳です。

その優位な地位を確認するのが金でした。たいした金額ではないにしても、伊藤野枝にまで金を自ら貸したのは、自分の優位性を確認するためです。大杉栄も伊藤野枝も、自分が出している金でやっていけているのだと。

葉山町のサイトにも日影茶屋は出ています。この建物を見ると、いよいよ行きたくなってきます。

 

 

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