松沢呉一のビバノン・ライフ

不良ブームとやらせリンチ事件—リンチの歴史[7](松沢呉一)-3,899文字-

連合赤軍と八鹿高校と新右翼—リンチの歴史[6]」の続きです。

 

 

 

少年犯罪における「リンチ」の使用

 

vivanon_sentence前回は連合赤軍の山岳ベース事件、八鹿高校事件、新右翼のスパイリンチ事件を見ました。これらは思想を背景にした集団内、あるいは集団同士のリンチであり、共産党リンチ事件の流れと言えます。

対して前々回見た不良やパンパンのリンチは思想的背景のない暴力です。

両者の共通点は集団が背景にあることで、明文化されていないにせよ、集団のルールのもとでなされ、はっきりと確認がとれているわけではないにせよ、集団の合意が背景にあってなされます。

思想のない集団のリンチは、あるところから、もうひとつの流れを作り出します。そのことを確認していきますが、その前にそちらの流れを白書で確認します。いわば公的なリンチの用法です。

「少年犯罪データベース」のリンチ事件を見ると、1932年(昭和7年)の事件もリンチ事件に含まれていて、説明文にもリンチが使用されています

 

和7年(1932).5.20〔小学校高等科1,2年(満12~14歳)50人のファッショ党「大東X団」〕

山梨県北都留郡の小学校高等科(現在の中学に相当)で、1,2年生50人が「大東X団」を結成して横暴な生徒などに集団でリンチを加えていたことが発覚した。右翼テロ事件続発に影響を受け、服の裏に骸骨のマークを付け、階級によって色を定めていた。

 

これは後付けでリンチとしたのか、当時からリンチという言葉が使用されていたのか不明ですが、今まで見てきたことからすると、昭和十年(1933年)の「共産党リンチ事件」以前にリンチという言葉を警察が少年犯罪に使用していたとはちょっと思いにくく、誰かしらがあとになってリンチという呼称を加えたものではなかろうか。

警察庁や警視庁の白書が引用元として記述されているもので、リンチという言葉が使用されたもっとも古い事件は1958年(昭和33年)です。

 

昭和33年(1958).1.11〔中3が教師の眼の前でリンチ〕

東京都足立区の中学校で、3年生不良グループ11人が隣の教室に押し入り、教師の制止も聞かず対立グループ5人を木刀等で暴行、重傷を負わせ、通報で駆け付けた警官に捕まった。これまでも生徒をリンチしたり、教師を蹴飛ばしたりしていた。

 

こういった白書では短い言葉で犯罪例をよく出しているので、おそらく原文のままではなかろうか。この何年も前から、小学生向けの本でも説明つきながら「リンチ」が出てきていたのですから、そうであってもおかしくない。

※書影は少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の著書『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

 

 

やらせリンチ事件

 

vivanon_sentence「少年犯罪データベース」ではこれ以降、毎年、1件から3件程度の事例が出ていますが、1970年代に入って少年犯罪でのリンチ事件は激増します。

これは暴走族番長スケバンツッパリといったワードとともに不良グループが注目されたことに伴ってメディアで取り上げられやすくなり、警察も少年犯罪をクローズアップしたためであって、リンチと呼べる犯罪例が増えたわけではないだろうと思われます。とくに昭和20年代から30年代は少年犯罪が多く、凶悪犯罪も多かったですから。

漫画やテレビでも不良は格好の素材となって、横浜銀蝿のデビューが1980年、「スケバン刑事」の漫画連載が1975年から1982年、ドラマ化が1985年から1987年。「湘南爆走族」の連載が1982年から1987年。いつの時代も不良マーケットはあるわけですが、この時期は不良がお茶の間でも人気でした。

 

 

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