松沢呉一のビバノン・ライフ

「M君リンチ事件」は適切な表現である—リンチの歴史[12](最終回)(松沢呉一)-3,181文字-

「ネットリンチ」は和製英語に近い—リンチの歴史[11]」の続きです。

これだけ丁寧に説明をしているにもかかわらず、野間易通はリンチではないと言ってきました。こちらのコメント欄を参照のこと。「ヘイトなきところにヘイトを持ち込んだ「カウンター勢力」—「ヘイト」の意味を巡る対立[2]」と同じくすっとぼけているところもあるのでしょうが、おそらく本当に理解できなくなっているのだろうと思います。他人に「勘が悪い」と言えるほど、自分が勘がいいと思い込んでいる野間易通でも理解できるように、その議論を踏まえた補足を加えておきました。補足した部分は*と*の間です。

 

 

 

日本式リンチの定義

 

vivanon_sentence改めて日本式リンチを定義すると以下のようなものになろうかと思います。

 

 

1)法の手続きによらず、組織維持等のためになされる暴行・傷害・殺人(狭義のリンチ)。行為者は複数であるとは限らず、集団のルールや意思に基づいてなされる場合はリンチとみなされる

2)集団の背景がなくても、法の手続きによらず、力の差に基づいて長時間にわたってなされる暴行・傷害(広義のリンチ)。近年はインターネット上での脅迫や名誉毀損等も「ネットリンチ」と称されることがある。

 

 

といったところでありましょう。案外シンプルですけど、既存の国語辞典等の定義よりも漏れの少ない定義となっております。

1のうち、処罰・制裁を目的にしている場合は「私刑」になりますが、私刑より範囲は広く、かつリンチと呼ばれない私刑もあるため、「≒私刑」といったところでしょう。

どちらの意味でも不均衡な力関係が存在していて、力が拮抗すると「ケンカ」「抗争」になります。左翼でも右翼でも不良でも、グループ内や同類のグループ同士で対立すると抗争であり、内ゲバです。それぞれ力関係に差があるところでなされるとその局面ではリンチにもなりますが。

では、このシリーズの最後に、この問題の契機となった「M君リンチ事件」にこの定義を照らしてみるとします。

 

 

「M君リンチ事件」の場合

 

vivanon_sentenceネイキッドロフト」であった山口祐二郎プロデュース『日本を撃て! 日本を考える爆裂トークイベント!でも言ったと思いますが(自信はない)、あの事件を最初に聞いた時は自分を抑えられなくなった加害者が偶発的に手を出したものだと私は認識していました。ただの直情的な暴力だと。「手が出ることもあらあな」というのがこの段階での私の感想。

これをリンチだと言う人たちは、連合赤軍の「山岳ベース事件」を踏まえて「十三ベース事件」と言っていたように、組織的な計画のもとで、監禁状態にして暴力をふるったようなイメージを拡散してました。さすがにそれはなさそうなので、私も「リンチではない」と思っていたわけです。

ところが、ふたつの点でそうは言えなくなってきます。

ひとつはその暴力の内容がわかってきたことです。「うっかり手が出た」と言うには、あまりに長時間であり、あまりに執拗でした。

清義明は早い段階から、事件の内容を把握していました。M君にも直接話を聞いていたはずです。その上で「あれはリンチだ」もしくは「リンチと言われても仕方がない」と言っていました。監禁されていたわけではないですが、「敵」に囲まれた中での一方的、かつ執拗な暴力ですから、リンチだとしたのは適切な判断だったでしょう。定義2に該当。

でも、清義明がいくら言ってももう耳を貸さないのよね。私が言っても同じですけど。

※これについての文字資料はこのシリーズくらいしかないので、鹿砦社がいかに嫌いでもこれを読むしかないでしょう。間違いがあるなら指摘し、批判すればいいだけのこと。私もひとつやっておきますが、津田大介のインタビューのゲラチェック前のものを公表するようなことを鹿砦社側が言っているのは感心しません。何をどう出すかは著作権者の一存で決定されるものであり、それを無断で公開することはできません。

 

 

正当性があると主張してもリンチ否定にはならない

 

vivanon_sentenceさらにもう一点。加害者を擁護する人たちは「M君がデマを流したのだから」といった要旨の主張をします。その制裁だったのならリンチです。私刑としてのリンチ。

 

 

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