松沢呉一のビバノン・ライフ

日高見国著『米国の新断面ラケット』より—リンチの歴史[付録]-(松沢呉一)-[無料記事]-4,066文字-

 

日高見国著『米国の新断面ラケット』(昭和九年)「第十四章 リンチ」の全文を転載しておきます。国会図書館が公開している資料の中ではもっとも正確にリンチを説明しているものであり、その意義から一部を転載しようとしたら長くなってしまったので、全文出すことに。原文を読めばいいだけですけど、慣れないと国会図書館のサイトは読みづらいですから。

今の時代に米国のリンチについて読むのであれば、英語版Wikipediaの「Lynching in the United States」の項が適切かと思います。日本語版にこの項目は転載されていません。英語が堪能、かつ時間のある人はこれを日本語版Wikipediaに移植するといいと思います。

『米国の新断面ラケット』という本のタイトルが妙ですが、冒頭でその解説を簡単にやってます。ラケットにはテニスや卓球のラケット以外に幅広い意味があって、「不正な金儲け」や「騒動」という意味が辞書に出ています。この本ではニューヨークタイムスの社説を引いて、「商業化された犯罪の各種の形式」と説明しております。おそらく米国でこのような用法が流行っていたのでありましょう。

グラフ以外の以下の図版はWikipediaの「Lynching in the United States」から転載したものです。

文中に出てくる「オウダム氏」は社会学者のHoward W. Odum。リンチ防止ジュージア婦人協会(Georgia Association of Women for the Prevention of Lynching)はAssociation of Southern Women for the Prevention of Lynchingのジョージア支部のよう。

最後に出てくるエピソードは複数の書籍に掲載されています。ここに書影を出したのはRobert W. Thurston著『Lynching: American Mob Murder in Global Perspective』。

 

 

 

日高見国著『米国の新断面ラケット』より第十四章「リンチ」

 

vivanon_sentence米国には文明として最も恥づべきリンチ—私刑が今日尚盛に行はれてゐる。勿論、全国何処でも盛に行はれてゐるといふわけではなく、主に南部地方に限られてはゐる。則ち最近五年間米国に於けるリンチの内約九割五分は南部諸州に行はれたものである。又リンチ総数中の九割は群衆の黒人虐殺といふことになってゐる。

尤も最近米国のリンチ件数は減少の傾向を示すやうになって来てゐる。一八九〇年代初めの二百件から二十世紀の最初の十年間の平均は百件に減少し、一九二〇年までの十年間には毎年平均六十件に、一九三〇年までの十年間には毎年平均三十件に減じてゐる。殊に一九二九年に終る六年間の平均は僅かに十六件に減少して来てゐる。

リンチ総件数中、南部諸州に行はれるものの割合は次第に減少しつつあり、一八九九年には八二%であったものが、一九一九年から一九二九年に至る十年間には九五%余になった。(松沢注:数字が増えているので、「南部諸州以外に行はれるものの割合は次第に減少しつつあり、南部では〜」の間違いではないか)

リンチ件数の最も多いのはミシシピー、ジョージヤ、テクサス、ルイジヤナ等の諸州で、リンチを受ける者の黒人人口に対する比率の最大なのはフロリダ、オクラホマ、アーカンソ等の諸州である。此処に注意すべきことは黒人人口が密集してゐる諸州にはリンチ数が少く、黒人人口が少い地方や、新開の土地に於ては黒人が最も多く危険にさらされてゐるといふことである。

リンチは特に最近の米国の重大な社会問題となって来た。その主な原因はリンチされた人間の内に事実無罪の者も多数含まれてゐるといふことが漸く分って来た為である。

我々は又、米国人の為に悲しまなければならぬのであるが、白人は屢々自分の犯した罪を黒人になすりつける場合が多いといふことが最近リンチの研究に依って明かになった。しかもリンチの残酷なことは大昔の野蛮人の行為に少しも劣ってゐないのである。

抑々白色米人は何故かくも黒人をいぢめなければならぬのであるか。民族的偏見や経済上の競争や教育不足等色々の原因を挙げ得るであらうが、第一の原因は米国人は黒人が恐ろしいといふことである。この点は北カロライナ大学の社会学教授で、リンチ調査南部地方委員会の委員たるオウダム氏(H.W.Odum)も強く指摘してゐる。

白人の心の平和は常に黒人の為に脅かされてゐる。黒人は各方面に於てぐんぐん進歩発展して来てゐる。黒人は何時か今の黒人と異なった人間になるかも知れない、といふことが心配なのである。白色米国人は今日の黒人そのものが怖いのではないが、黒人が将来ああもなるのではないかと思はれるその人間が怖いのである。かくて白人の黒人に対する心の平和がかき乱される。その結果何か一寸でも事があれば黒人に暴行を加へることとなるのである。

我々は次に南部地方に殺人事件の多いこととリンチ件数の多いこととの関係を看過してはならない。リンチ調査南部地方委員会の報告書に依ればリンチ事件の多少には季節的変動が伴って居り、七、八、六月の三ヶ月がその順序で、リンチ件数を最も多からしめてゐる。ブリヤリ氏(H.C.Brearley)の南部地方に於ける殺人の研究に於ても殺人件数の最も多いのは七、八、六月の三ヶ月であるといふ同じ結果を示してゐる。

 

 

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※このグラフは2015年と2016年の全米の犯罪発生数。たしかに夏に多い。

 

 

又、黒人人口の多い所にリンチ件数が却て少いといふことを既に述べたが、之は必ずしもこの地方に於て黒人が殺されることが少いといふことでは決してない。この地方では一人か二人の白人が黒人を殺す場合は多いが群衆の力を以て黒人を殺す必要がないだけのことである。

一九三一年十一月にリンチ調査南部地方委員会が発表した報告書は次の点に於て世人の注目を喚起した。曰く、烏合民衆の暴行を受けた犠牲者の少くとも半数は真に有罪であるか、どうかが疑はしいものである、と。

この委員会の委員達はその委員長、チャタヌーガ新聞の主筆ミルトン氏(George Fort Milton)を始め何れも世人の尊敬を受けてゐる人々であり、その判断も正常なりと見られ、その報告書に依って米国民衆暴行史上最悪の一面が暴露されたわけである。

リンチ件数を一九三〇年の数字について観るに二十三件に達してゐる。その内の一人の如きは単に政敵を立腹せしめたといふ理由だけでリンチされてゐる。又、他の一人は白人が被告となってゐる訴訟事件証人として出廷することを妨げんが為に犠牲に供せられてゐる。

その後リンチ件数は著しく減少して一九三二年には十件となったが、一九三三年には再び二十八件に増加した。

つぎに白人婦人の貞操擁護の為にのみ黒人はリンチされてゐる、—といふことが従来終始云はれてゐるが、委員会は之に対しては何を報じてゐるか。曰く—

リンチは大部分婦女に対する犯罪の処罰であるといふ世論は事実に相違してゐる。何となれば一九二九年に終る四十一年間にリンチされた三,五九三人中二三%が婦女に対する既遂、未遂の犯罪を理由とされたものに過ぎず、七七%は他の罪科に依ってゐる。

一方、南部地方の白人婦女は婦人の貞操擁護の為の黒人リンチ説に抗議を発してゐる。則ちリンチ防止ジュージア婦人協会(Georgia Association of Women for the Prevention of Lynching)、その他之に似た婦人会は皮肉にも黒人にリンチを加へることに依って彼等の貞操を守ってくれることに抗議を申し立ててゐるのである。

次にリンチの直接の原因は何であるか。

委員会は教育不足及び低級な経済状態とリンチとの間に直接の関係を認めてゐる。一応不思議に考へられることであるが、リンチは既述のやうに所謂「黒人地帯」(“Black Belt”)に最も多く行われるのではなくて、黒人が余り多く密集してゐない地方に最も多く行はれてゐる。特に黒人人口の全人口に対する割合が二五%以下の地方に多く行はれてゐるのである。

又、委員会は今までリンチに関して行はれてゐた、も一つの説が謝りであることを明かにした。も一つの説とは何であるか。裁判所が黒人に対して屢々有罪の判決を下さないからリンチが必要であるとするもの則ち是である。併し委員会に依れば実際に於てはこの説も誤りであることが明かである。之を一九三一年六月に終る十八ヶ月間について観るに南部地方に於て六十八人の黒人が有罪の判決を受けてゐる。その内訳は八人が強姦、五十七人が殺人、三人がその他りの犯罪であった。

リンチに対しては勿論、最近米国有識者の間に反対の声が極めて大となりつつあり、新聞や教会が熱心にその防止に努力してゐる。併し何ものの左の劇的な出来事程、有力にこの傾向を主張してゐるものはない。

一九三一年十一月のことであった。テネシー州ハンティングドン(Huntingdon)に於てキャロル郡長の妻バトラー婦人(Mrs.J.C.Butler)が州からその勇敢な行為の故に賞牌を授与された。

その勇敢な行為といふのは夫がゐない間、彼女が守ってゐた獄舎から罪人を取り出さうとした群衆に対して身を以て之を守ったといふことである。

彼女は唯一人、一つの銃器も持たずに群衆に叫んだのであった「私の死屍を越えて獄舎に入るなら入りなさい。」かくて哀むべき素手の囚人を殺すには十分勇敢な群衆も一婦人の前に顔色なく引下がってしまったのである。実に彼女は勇敢にもリンチ問題解決への道を身を以て指し示したものと云ふべきである。

 

※上と下のリンチの図版はWikipediaの「Lynching in the United States」より。下のリンチの図版は1909年の公開リンチ。観客一万人。

 

 

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