松沢呉一のビバノン・ライフ

桐野夏生の「スキャンダル」に挑む—文壇タブーなんてあるのか?(上)-[ビバノン循環湯 488] (松沢呉一)-3,771文字-

「エロス+虐殺」を許せなかったのも伊藤野枝への嫉妬か?—伊藤野枝と神近市子[12]」に桐野夏生の名前が出てきました。追記を入れておきましたが、映画「東京島」はひどい内容。アナタハン島事件をそのまま映画にした方が数段よかったのに。設定が壊れているので、監督や脚本の問題ではなく、原作に無理があるのだと思います。

そういえば桐野夏生について原稿を書いたことがありました。2005年に「NONFIXナックルズ」に書いたもの。中身は覚えてなかったのですが、読み直したらまあまあ面白い。

しかし、雑誌の原稿としては完全に失敗してます。読んでいただければおわかりのように、取材するまでもなく、桐野夏生自身がすでにその件を書いていました。隠していると暴きたくなりますが、自身が晒しているとなれば褒めるしかない。実際、桐野夏生を褒めている原稿です。貶す記事は受けますが、褒める記事は受けない。

その点では失敗してますが、作家と編集者の関係、作家の社会的地位みたいなものを見るには少しは役立つ内容かと思います。

この場合、高橋源一郎だったら、桐野夏生の本をすべて読むのでしょうけど、私は代表作を読み、あとは必要なものをいくつか読んだだけです。作品論や作家論を書くんだったらもっと読みますけど、下半身ネタですから、こんなもんで十分かと。

 

 

スキャンダルが娯楽になり、作品にもなった時代

 

vivanon_sentence本誌が創刊になって間もなく、編集長がこんな電話をしてきた。

「NONFIXで文壇スキャンダルをやっていこうと思っているんですよ」

そういえば、「噂の真相」が消えて以来、その手の記事はまったく見なくなった。「噂の真相」が書いていたように、出版界には「文壇タブー」というものがあって、易々と作家の批判ができなくなっているらしい。

私は最近の書き手に全然関心がなくなって、半世紀以上前の本や雑誌ばかり読んでいるのだが、昭和30年代くらいまで、作家スキャンダルは格好の雑誌ネタだった。太宰治や有島武郎の心中事件ともなれば、新聞や雑誌がどこも大きく取りあげる。もちろん、心中という極めつけの事件だからこそということもあるのだが、取るに足らない男女関係でさえも報道される。

平塚らいてうの本を読んでいると、女権論者たちが吉原に行ったことまでが新聞に報道されて叩かれたなんて話が出ている。ちょっと名の知られた物書きたちは、今の芸能人のような存在であり、その一挙手一投足がネタになったのである。

作家自身が他の作家をネタにするのもよくあった。たまたま最近有島武郎の『或る女』を読んだのだが、この小説に出てくる登場人物のほとんどは実在していて、物語もおおむね実話だ。有島武郎自身も登場するし、主人公と結婚して捨てられる情けない作家は国木田独歩である(これも実話)。

あるいは、尾崎紅葉『金色夜叉』の貫一は児童文学の大家である巖谷小波がモデルだと言われ、物語はともかくとして、巖谷小波と複数の女たちの関係を参考にしたと巖谷小波の息子も認めていて、当時の読者たちもこのことは知っていたらしい。児童文学の作家でさえもこの有様だ。

戦後世代の作家でも、壇一雄のように、自分自身の、褒められた話ではない自身の行動を小説にしていて、読者もそれを受け入れていたのだから、作家も読者もすべてが鷹揚であった。

こういった例は枚挙に遑がなく、「文学と作家スキャンダル」を連ねていくだけで、一冊の本が簡単にできあがるだろう。

 

 

文壇タブーに挑む

 

vivanon_sentenceところが、今は作家が実在の作家をネタにして小説を書くことは、ないわけではないにしても、非常に少ない。作家のスキャンダルが一般の雑誌に出ることも非常に少ない。どうもここに「文壇タブー」というものが存在していて、それが強化されているようである。

それに挑もうとする編集長に私は同意した。

「それはいいね、どんどんやるといいよ」

続けて編集長はこう言った。

「で、松沢さんは何か知らないですか」

私自身、最初からそんなところにいないので、文壇なるものから追放されたって、痛くも痒くもない。むしろネタが増える。大手出版社とのつきあいもないので、干されようもない。

協力するのにやぶさかではないが、小説家の知り合いはほとんどいなくて、直接面識のある範囲では、小説家になる前にピンク映画に出た過去があるとか、小説家になる前に裏ビデオに出ていた過去があるとか、小説家になる前にヤリチンだったといった話をいくつか知っているくらい。すべてエロがらみ。しかし、本人たちも隠してないと思うな、たぶん。

 

 

桐野夏生って誰?

 

vivanon_sentence そんなことを話して電話は終わったのだが、しばらくしてから、編集長はまたこんな電話をしてきた。

「桐野夏生が出版社と揉めて、版権を引き上げると言っているらしいんですよ。ちょっと調べてもらえませんか」

桐野夏生であれば相手に不足はない。よし、文壇タブーとやらに挑むとするか。

ところで、桐野夏生って誰だ。男か女か。ベストセラーを連発している小説家であることくらいは知っているが、なにしろ今の小説をまったく読まないので、よく知らないのだ。

さっそく代表作の『OUT』(講談社)の文庫を買ってきた。ムチャクチャ面白いな、これ。

 

桐野夏生 1951年、金沢に生まれ、仙台、札幌などを移り住む。成蹊大学法学部卒。会社員を経てフリーランスになり、少女小説やレディースコミックの原作を手掛ける。93年、女探偵村野ミロが主人公の「顔に降りかかる雨」で第39回江戸川乱歩賞受賞。99年、「柔らかな頬」で直木賞、2003年、「グロテスク」で泉鏡花賞、2004年、「残虐記」で柴田錬三郎賞受賞。98年に日本推理作家協会賞を受賞した「OUT」で、2004年エドガー賞(Mystery Writers of America主催)の候補になった。2005年には、谷崎潤一郎賞を受賞。家庭では一児の母でもある。

 

著書に出ているプロフィールと本人が書いていることをまとめてみた。

 

 

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