松沢呉一のビバノン・ライフ

『世界の猶太人網』と『我が闘争』—ヘンリー・フォードとナチス[1](松沢呉一)-3,636文字-

※最初に用語について。「ナチ」は国家社会主義ドイツ労働者党(NADAP/Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)の蔑称、「ナチス」はその複数形ですから、使い分けるのが適切ですが、正確に区別するのは日本人の私では難しくて煩雑なので、原則「ナチス」に統一します。

 

 

『我が闘争』を読んでみた

 

vivanon_sentenceナチスは怖い。いまさら何を言っているのかってことですが、ヒトラーの『我が闘争』を読んで改めてそう思いました。ナチス自体怖いのだけれど、同時にそれを生み出して支えたものが怖い。

ビバノン」ではたびたびヒトラーやナチスが登場しています。今年で言えば吉岡彌生シリーズ「心のナチス・心の大日本帝国」シリーズでナチスを取り上げていて、「一世紀以上前に書かれたTwitter批判の書—群衆心理に打ち勝つ方法[1]」では、ギュスターヴ・ル・ボン著『群衆心理』に影響された人物としてヒトラーを挙げています。

しかし、ヒトラーの『我が闘争』は読んだことがありませんでした。戦前版はうちのどこかにあるのですけど、抄訳ですから、読むんだったら完訳がいいと思っているうちに何十年も経ってしまいました。

正直なところ、ヒトラーにせよ、ナチスにせよ、あまり近づきたくない。ホロコーストに触れたくないということもありますし、興味を抱くとキリがなくて、何年も抜けられなくなりそうでもあります。現在のイスラエルをどう評価するのかはまた別問題とは言えども、そのことの複雑さも引っ張り出されてきてしまったりもします。

触れない方がいいもののはずだったのですが、『群衆心理』からの流れで、つい出来心を起こしてしまいました。

※Mein Kampfの初版。Wikipediaより

 

 

『群衆心理』の影響

 

vivanon_sentence我が闘争』の第一部は1925年に発行され、翌年第二部が発行されています。

ミュンヘン一揆で投獄されている際に執筆しながらも、結局は口述筆記したものが本になっている過程からして、ヒトラーは演説はうまくても文章を書くのは得意ではなかったのではなかろうか。

我が闘争』の中でも、「大事業は舌の力で成就され、筆の力に依るものではない」とし、第一部でも第二部でも演説の力について繰り返し書いています。聴衆の前で演説することに意義があることを執拗に強調しているのは、本音であるとともに、書くことが苦手だったことの自己正当化ではないかとも疑えます。

しかし、皮肉なことに私にとってもっとも面白かったのはこのことを説明した部分です。よっぽど自信があったのでしょうけど、記述が細かくて、演説会は朝より夜の方が効果があるといった指摘には頷けました。早い時間帯は冷静な判断力が働くために聴衆を取り込めず、疲れて冷静な判断力をなくした時間の方が効力があるのだと。

このあたりもル・ボンの『群衆心理』を踏まえているのだろうと思われます。理性が働いているうちは群衆心理が機能しないのです。

大衆は怠け者なので、本を読もうとするのは「同臭同好の者だけ」という指摘は今なお正しい。同じ考えの人にしか届かないのです。

事実、ナチスの政権獲得はヒトラーの演説に依るところが大きかったのですから、この主張が間違っているとはとうてい言えず、大衆煽動の意義と方法についてヒトラーはよくわかっていました。

中身がなくても、短いフレーズを断定的に繰り返すと群集は信じる」というル・ボンの指摘をここでもそのままやったのか、その口述筆記は「雑な著述と反復が多く読解するのが困難であったとされ」て、複数の人の手直しを経て本となっています。

当初はさして売れなかったのですが、ナチスの独裁が実現するに至ってベストセラーに。半ば強制的に購入させたためでもあって、小学生にまで読ませたらしく、累計一千万部です。この本はナチスのバイブルとなって、結局、ヒトラーは自分自身で書いた本は一冊も残していません(『我が闘争』によると、自身で書いた冊子はいくつかあるよう)。

 

 

戦中に出された極秘扱いの『我が闘争』

 

vivanon_sentence日本でも1932年(昭和七年)に初訳されており、これも、これ以降のものも、日本を劣等民族とする箇所がカットされています。ヒトラーは日本のみならず、アジアの民族を蔑視してました。アーリア人以外は劣等であり、中でも金髪、碧眼のゲルマン民族が選ばれし民族ですから、それ以外を蔑視するのは当然です。

しかし、戦前も完訳版があって、もしかすると国会図書館にあるのではないかと思って検索したらありました。これを見つけたのが読む直接のきっかけです。

限定五百部の極秘扱いです。複数の独語版と英語版を照らしていて、丁寧な翻訳です。発行年は昭和十九年です。もはや敗戦の色が濃くなってきたこの段階でなぜこんなものを出したのか不明です。

国会図書館にあるのは一巻目の上二巻目の上だけで、どのみち全部は読めないことに途中で気づいたのですが、その段階で「これは全部読む必要がない本だな」と思えていたので、そのまま一巻目の上と二巻目の上を読んで済ませました。

ここから知りたいことが次々と出てきて、ナチス関連の資料を読み続けていて抜けられなくなってます。恐れていた通りでした。

「ビバノン」でなんか書こうなんて思っていたわけではなく、ただの好奇心だったのですが、いろいろとわかったことがありまして、忘れないうちに、自分のために書き残しておきたい。ただ、ヒトラーやナチスは、書くことも怖い。詳しい人はとことん詳しいので、いい加減なことを書いたらすぐに突っ込まれそうです。

かといって、自分で納得できるまで調べていたら、あと何ヶ月もかかります。あと何ヶ月も寝かせていたら、今度は蓄積がいっぱいになって、どこからどう書いていいのかわからなくなりそうです。

そこで端っこの方からちょっとずつ書いていくことにしました。全部同じシリーズでまとめようとすると収拾がつかなくなるので、テーマごとに別立てにしていきます。まずはヘンリー・フォードとナチスとの関係についてです。

 

 

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