お試しで二十万円—ホステスさんの相談(下)-[ビバノン循環湯 487] (松沢呉一)-4,649文字-
「愛人の条件—ホステスさんの相談(中)」の続きです。
お父さんの代わりをやって
彼女は急にこんなお願いをしてきた。
「私、一生結婚はしなくてもいいけど、子どもは欲しいんだ。松沢さん、お父さん役をしてくれる?」
「オレのタネが欲しいってことか?」
「そんなことは言ってない。その人の子どもを生んで認知してもらって、養育費も出してもらうとしても、一緒に出かけることはできないと思うんだよね。その人は見られたら困るでしょ。私と子どもだけだと煮詰まりそうだし、子どもも一緒に外に出かけるお父さんがいてくれた方がいいでしょ。それと、その人だと、歳が離れすぎていて、人前で一緒にはいたくないんだよ、私としても。だから、松沢さん、ディズニーランドに行ってくれる?」
「オレだと見栄えがいいからな」
「そこまでは言ってない。松沢さんだったら、ギリギリ夫婦に見えなくはない。だってさ、こんなこと、松沢さん以外に頼めないよ。この話自体、誰にも言ってないんだから」
「オレとは関係のない話かと思って、いい加減に聞いていたが、こうなると、真剣に考えねばならんな」
出勤前の会話だから、酔っぱらっているわけではない。彼女は本気みたいだ。急に他人事ではなくなってきた。毎日ガキの顔を見て暮らすのはイヤだが、たまになら楽しそうではある。今まで何度か子連れデートを経験していて、実際楽しかった。嫌いな女だったらもちろん苦痛だが、こんな会話をしてくるくらいで、この子とは気が合う。デートと思えばいいんじゃなかろうか。
「でも、子どもにとってオレは誰? そのオッサンがたまに来るお父さんだとして、オレはどんな人?」
「親戚のおじちゃんとかでいいんじゃないかな」
「“とか”だと落ち着きがないぞ。子どもに“あんた誰?”って聞かれて、“親戚のおじちゃんとかだよ”って言うのはおかしいだろ。もうちょっとその辺の役割をはっきりしておいてくれるかな」
「わかった、考えておく」
「確認しておくが、幼稚園の送り迎えとか、学校の父兄参観は行かなくていいんだろ」
「そこは諦める」
「町内会の会合は?」
「それも出なくていいよ」
「ゴミだしは?」
「今だって自分でやっているから、それもいいって。月に一回、遊園地とか、動物園とか、食事とか、それだけでいいよ」
「毎月、動物園でもいいぞ。上野から始まって、多摩、千葉、横浜を回るんだよ。旭山動物園も一度行かねば。小さい頃に行ったことあるけど。経費はそっちもちか」
「いいよ、どうせあのオヤジの金だし、松沢さんは金がないしさ」
「そうも繰り返すな。するってえと、メシを食い終わったあと、デザートとコーヒーもつけていいのか」
「いいってば。松沢さんがそれをやってくれるんだったら、安心して愛人になれるし、安心して子どもを生める」
なんだかよくわからんことになってきた。彼女が私の子どもを生むってわけではないのに緊張するなあ。でも、面白いからいいか。
次の獲物へ
この電話から一ヶ月ほどあとのこと、彼女から報告があった。結局、条件面の折り合いがつかず、話は流れたそうだ。それほど無謀な条件ではなかったと思うので、パトロンとしては小物だったってことだろう。
「社会的な地位はあるけど、自由にお金を使える人じゃないんだと思うんだよね。ママは“そんなにお金を引っ張れる相手じゃないから、もっといい人を探しましょう”って言っていて、一度契約が成立すると、半年や一年で終わる話じゃないから、ポシャッてよかったかもしれない」
私も半分残念で、半分ホッとしている。
実はこの時の会話で、相手が誰か判明した。検索したらわかったのである。
「絶対言ったらダメだからね」
「もしバレたら、この人、社会的生命が終わるんじゃないか」
「かも」
そういう立場の人なのだ。
(残り 3211文字/全文: 4800文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ