松沢呉一のビバノン・ライフ

廃娼運動批判と自由売春論—実業家にして社会改革論者・秋守常太郎[中](松沢呉一)-2,848文字-

土地国有論と禁酒運動批判—実業家にして社会改革論者・秋守常太郎[上]」の続きです。

 

 

 

ヨーロッパの視察を踏まえての売春の自由放任論

 

vivanon_sentence秋守常太郎著『欧洲土産』(昭和四年)はタイトル通りヨーロッパ旅行の見聞記である。新聞社主催のツアーなのだが、今のように飛行機でチャッと行って三泊で帰ってくるような旅行ではなく、百日を超える旅行だ(その半分はアジア各地)。船賃にせよ滞在費にせよ、今の比ではなく高かったのだから、今で言えば参加費は五百万円くらいだったのかもしれない。そりゃ本でも書きたくなろう。

この本に掲載された「遊廓廃止論」では、現状の選択肢として、売春の自由放任主義を提唱している。これはヨーロッパ旅行の際に見聞した話がもとになっており、前回見た官営遊廓論から乗り換えたのではなく、「日本でもヨーロッパ方式が可能であれば」という前提で、遊廓廃止の可能性を模索したものであって、相変わらず宗教的・道徳的廃娼論とはまったく違っている。

こちらは比較的読みやすいので、そのまま引用する。

 

 

私は従来遊廓官営論者で其論旨は拙著土地国有論中に記述して居りますが、其要点は、頭痛がするのを揉んで遣る事が罪悪でないと同様に売淫も亦適当の場所に於て之を行ふに於ては不道徳でないから共に自由であらねばならぬ事、我国人は体質上早婚を必要とするのに不拘(かかわらず)我国に於ける近来の経済事情が之を許さぬ事、及び従来の遊廓は楼主の私営に委して居ったから人身売買に堕して居るのに加へて売淫は国民の衛生上重大なる関係があるから之を官営として厳密なる検査を実行し兼ねて之を安価にして成るべく自由に行はしめる事が必要である事、等でありましたが、私は此回欧州に於ける実地を視察した結果此後我国に於て全然之を自由にして不適当な場所に於てする者の外甚しき拘束を加へぬ事欧州の如くするのであれば私は私の官営論を抛棄して遊廓廃止論に賛成するものであります。

 

 

遊廓の存続を主張する人たちでもまず前置として「売淫がいいことではないのは当然だが」といった枕を置くのが通例だが、頭痛になぞらえて、セックスをしたい人の相手をするのが罪悪のわけがないと言い切る。ただ者ではない。

我国人は体質上早婚を必要とするというのが何を根拠にしたものかわからないが、晩婚傾向が強まっていたのは、不景気のために若い男が妻子を養えなくなったからというのはこの頃よく言われていたことだ。

 

 

Prostitute, Paris ca 1920.(Photogravure dated 1940) Photographer: Eugène Atget.

 

 

制度が「醜業婦」を作り出している

 

vivanon_sentence秋守常太郎がヨーロッパ旅行をした時点で、ヨーロッパでは公娼制度はおおむね廃止されていた。売春宿の類いもあったが、著者が自身の目で確認できたのはおそらくキャバレーやカフェーでたむろする女たちやダンサー、街娼だろうと思われる。

その印象をこう書いている。

 

 

而して我国の醜業婦が国法上醜業として居る業務に従事する結果感情的に堕落して一種の醜業婦気質を生じて居るのに反して、欧州の彼等は二十歳にして父母の保護を離れて独立せねばならぬのに際して彼等は偶社会に其需要があるからそれに応じて労働しつつあるのに過ぎぬので、実に我国のそれ等の如き醜業婦気質がないのみならず全く通常一般の婦人と異なる処がない由であります。若し夫れ病毒の予防に就ては欧州に於ける双方は其前後に於て十分に洗浄する習慣と設備とが完備して居るのに加へて相当の器具を使用して決して情実と感情に流るる事がないから著しき弊害がない由であります。此の如くでありますから此後我国に於ても之を自由に放任するに於ては自然に欧州同様の設備と習慣とが発達するから之を自由に放任して差支がないのであります。

 

 

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