松沢呉一のビバノン・ライフ

天民が大嫌いな救世軍の婦人ホームを礼讃した理由—松崎天民が見た私娼の現実[4](最終回)(松沢呉一)

売春をする女たちの意思に気づいていた天民—松崎天民が見た私娼の現実[3]」の続きです。

 

 

 

矯風会と救世軍の差

 

vivanon_sentence平塚らいてうのように、矯風会を名指しして批判している人は少なくなかった。しかし、平塚らいてうも、矯風会とともに廃娼運動を担ってきた救世軍に対して批判はしていないのではなかろうか。まとめて廃娼運動として批判していることはあっても。

婦人運動家の場合は、矯風会が婦人運動と見なされることを否定する必然性があって、「あれはただの道徳運動、宗教運動であり、自分たちのような婦人運動ではない」と線引きをしてないではいられなかったのだろう。当然だ。また、与謝野晶子のように、日露戦争に反対していた人たちにとっては、嬉々として戦争に協力していった矯風会への疑問もおそらく関わっていただろう。これも当然。

婦人運動家の立場ではなくても、矢島楫子の虚偽に満ちた生き方を受け入れられなかった人たちもいそうだ。矯風会がこれに対して毅然とした処理ができていたならともかくも。

現に婦人運動家ではなく、矯風会と救世軍に対して、評価を変えている例はしばしば見られる。秋守常太郎も、廃娼運動や禁酒運動に関して、矯風会と救世軍をまとめて批判しているが、どちらかと言えば矯風会批判に重きがある。

救世軍は本拠地イギリスでも、米国や日本でも貧民救済に力を注いでいたため、その部分での評価が加わっていたのだと思われる。

松崎天民もそうである。天民は平塚らいてうのような論理だった批判というよりも、揶揄、嘲笑のトーンだが、しばしば矯風会を否定的に取り上げており、狂信的集団といった扱いでさえある。救世軍に対しても否定的に書いているのだが、一方で肯定的なことも書いているのだ。

※『救世軍写真帖』より山室軍平

 

 

松崎天民と山室軍平の応酬

 

vivanon_sentence淪落の女』にはこんな言葉が出ている。

 

 

公娼制度を廃止せねばならぬ、と絶叫して居る天下の識者達や、娼妓の自由廃業にのみ努力して居る救世軍は、何故この隠れたる私娼の群に着眼しないのであらう。国の法律が許して居る公娼を、彼是と論議するよりも、法律の眼を忍んで生きて居る輩のために考へる方が、より急務であると思はないのであらうか。公娼廃止会の空論者流を、蛇の様に嫌ふ私は、鐘や太鼓で娼妓の自由廃業を煽動する救世軍も、大嫌ひなものの一つである。尤もこんな連中が如何に騒いだ所で、公娼も無くならねば、私娼の群も絶滅しない事は判り切った事実である。

 

 

前々回の引用文にも出てきたが、「鐘や太鼓」とあるのは、救世軍は突撃の時に楽団を伴うことを指す。そのことから救世軍を天理教と重ねるむきもあったのだが、欧州においては軍隊が進撃する時に軍楽隊が伴うことを模したものだろう。ナチスが収容所でも楽団を欲しがったことにも通じる。当時の軍隊はなにかにつけ音楽なのである。

実際にそういった手紙を書いたかどうかわからないのだが、『淪落の女』には山室軍平宛の投函しなかった手紙が登場する。

 

 

同じ基督教でも、聖書の背皮金文字より、一歩も外へ出得ない様な、空論で飯を食ふ牧師の群よりは、貴下の仕事の方が世間に近く、新聞紙に近いだけに、私は常に興味を以て、「救世軍」の事業を傍観して居ます。

あの赤い帽も嫌だし、あの人の心を煽(おだ)てる様な、性急な伝道法も厭だし、万事を軍隊的に遣っ居る事も、戦争の嫌な私の蛇蝎視する処ですが、然し何だか知ら救世軍は面白い。日本の救世軍の統率して、「世界の人道」を闊歩して居る第一人者が、「岡山県の人」かと思ふあと、何だか斯う肩身の広い様な、愉快に気持ちがします。

私は基督教会が嫌ひ、牧師が嫌ひ、救世軍が嫌ひ。説法よりは活動写真が好き、讃美歌よりは浪花節が好き、アーメンよりは南無妙法が好き。然し「山室軍平」だけは、精力の強い世界の大仕事として、常に少なからず感心して居る。救世軍は大嫌だが、「山室軍平」は何となく好きである。

 

 

この前後に共通の郷里岡山のことを書いていることからも、「何となく好き」の中身は同郷であることが大きいようである。しかし、「なんとなく好き」と書いてはいても、とってつけたようにも見える。

にもかかわらず。この章については、山室軍平が「彼等を救済せよ」という文章を寄せている。よく原稿依頼したものだし、山室軍平もよく書いたものだ。原稿を書いてもらうために「なんとなく好き」というフレーズを加えたのかもしれない。

山室軍平は天民の批判を踏まえつつも、直接反論することはなく、「可憐なる女性」「弱き女性」が「肉欲の奴隷」に蹂躙されているいう設定で、私娼も救済しなければならず、それを松崎天民がやればいいとほのめかしている。「だったらおまえがやればいい」という返しは正しい。

※『救世軍写真帖』より

 

 

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