万事を通じて自由であることが理想—実業家にして社会改革論者・秋守常太郎[下](松沢呉一)-3,897文字-
「廃娼運動批判と自由売春論—実業家にして社会改革論者・・秋守常太郎[中]」の続きです。
権利主張ができない女に貞操は守れない
秋守常太郎が既存の道徳から距離を置いていたことは、以下のエピソードに対する姿勢でよくわかる。
ヨーロッパ旅行を終えて日本への帰途の船に、サイゴンや上海にいる夫のもとに向う三人のフランス人の婦人が同乗していたのだが、三人ともに船上で知り合った同国人の男たちとうまいことやっていた。それに対して筆者の同行者たちはフランスの婦人たちは乱れていると憤慨していたのだが、著者は「私は不同意であります」と書く。
一般的には総じてフランス婦人でもふだんはこのようなことはなく、また、このような環境にあれば日本でも似たようなことになることがある点を指摘する。そもそも欧米では夫婦随伴で旅行をすることが多いので、そういうことにはなりにくいのである。
さらに「仮に我国の婦人に於ける風紀が健全であるとすれば各位は一層に自己の不品行に就き恥ぢねばならぬ筈である」と書く。それ以上のことは書いていないが、おそらくこの旅行でも、単身で旅をする皆さんは、ハメを外して不品行なことをやったのだろうと想像する。
パリでは日本人を見るとすぐに声をかけてくるのは、今まで日本人が客になる例が多かったことを示しており、さんざん日本の男たちはそういうことをやってきたのにそれを棚上げして何を言っているのかということだ。
男たちはそういうことをしているんだから、フランス婦人たちがそうしていたとしても蔑視すべきではないという指摘だ。
このあとがまた素晴らしい。
而して我国の婦人も亦自己が貞節であるのに不拘其夫が不仕鱈であるのを容認して悋気は女の慎しむ可き処などと済して居るのは余りに意気地がなく、私は我国の婦人が雛人形同様である事を恐るると同時に、自己の権利を主張し得ぬ彼女達にして果たして能く如何なる場合に於ても其貞節を全ふし得る乎を疑ふものであります。
意思表示ができなければ貞操を守ることもできない。現にそれさえできなかったから、声をかけられるとフラフラついていくことになったのであり、それを防ぐために女たちは外出さえ自由にはできなかったし、自身、外出しようともしなかったのだ。これが女性の社会進出を妨げ、婦人参政権を実現させなかったことは「ビバノン」でも見てきた通り。
※Prostitute-Paris-c.-1930-by-Brassaï-Gyula-Halász
万事を通じて自由である事が理想
禁酒運動に話は戻る。
矯風会を筆頭として、宗教がらみの人々が禁酒、禁煙、廃娼を求めていることについて秋守常太郎は批判していたわけだが、この『欧洲土産』(昭和四年)に掲載された「遊廓廃止論」には付記として禁酒運動のことが書かれている。
婦人にとっては夫の不品行と暴酒が耐え難く、とくに暴酒については婦人がその準備や給仕をさせられるのだから苦痛である。ではどうすべきか。
また転載が長くなるが、著者の平等思想がよく出ており、法をどう考えていたのか、平等を実現するには何が必要と考えていたのかについても読み取って欲しい。
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