松沢呉一のビバノン・ライフ

ポグロムとホロコースト—日本におけるヒトラーの評価[3](松沢呉一)-3,695文字-

安達堅造著『ナチスの真相』—日本におけるヒトラーの評価[2]」の続きです。

 

 

 

古垣鉄郎の的確な読み

 

vivanon_sentence戦前戦中の日本において、ヒトラー礼讃の主張があったことは想像しやすいとして、一方で、冷静にヒトラーの危うさを指摘しているものもあります。

古垣鉄郎著「朝日時局読本」 第四巻『危機に立つ欧州』(昭和十二年)がその筆頭です(表には著者名が出ておらず、東京朝日新聞欧米部編になっていますが、中に古垣鉄郎の名前が出ており、一人で書いたものと思われるので、古垣鉄郎を著者とします)。

ドイツだけ、ナチスだけを取り上げたものではなく、広くヨーロッパ状勢を分析した内容なのですが、それだけに歴史や国際状況を踏まえた俯瞰的分析でヒトラーやナチスを論じていて、これに比べると、安達堅造著『ナチスの真相』はナチスの現象、主張をなぞるだけの一ナチス・ファンの感想に過ぎないことがよくわかります。

著者は『我が闘争』に記述された外交に関する方針を「ナチスが天下を取る為の対内的工作」「宣伝文学」とこき下ろしています。国内に向けた「大風呂敷」ってことです。これは『我が闘争』全体に通じる評価でしょう。

著者はヒトラーを天才としているのですが、この天才は勘のよさに発揮され、現に独裁を実現したのは、正しく国民が望むことを集約し、先んじて求めることを宣言し、実行した点にあります。

著者はユダヤ対策について具体的な評価をしてませんけど、これも「対内的工作」のひとつです。ユダヤ追放はドイツの大多数の国民が望んでいたことです。少なくとも容認していました。さもなければ、どうして選挙で圧勝することができましょうか。ここでもヒトラーの勘のよさが発揮されました。

 

 

ドイツは戦争をするしかなくなる

 

vivanon_sentenceその後の展開を見た時に、古垣鉄郎はナチス政権を的確に言い当てていたことがよくわかります。

 

 

実の処、ドイツは旧植民地に関しては、実よりも名が欲しいのである。愈々四ヶ年経済計画の不人気的大事業に乗り出したのであるから、何とかして、対外的に民衆の満足を買ひ、目的の貫徹、則ち再軍備の実現までヒトラーは民心をつなぐ丈の獲物が必要なのである。さうでなければ、時を経るに従って沈黙の裡に発酵しつつある国民の不満と怨嗟の空気は、次第に消極的抵抗の形をとり、次に怠業、不服従の傾向にまで進めば、政府は茲に重大な低気圧に遭遇し、危機の招来ともなり、破局の発端ともなるのである。或は政府自身の軽挙妄動を誘導し、或はヒトラー幕下の幹部間の闘争対立となり、ナチス内部の分裂作用を生ずるが如き場合、ヒトラーは、これら対内的に治療するか、対外的に外科手術を施すか、二つに一つを選ばなければ、遂ににナチス自身の破滅に直面するに至る。而して不幸にして若し内部的の症徴が余りに悪化し、例へば、ゲッベルスとシャハトの対立、或はヒトラー自身と、ナチス幹部の確執と云ふ如き形勢を生じた場合、ヒトラーの生きる道は僅かに危険極はまる対外的手段、則ち戦争に走るより外に残されない。

 

ここまでナチス関連のものを集中して読んできたかいがあって、私もこの指摘に大いに納得できます。

ここに出ている「四ヶ年計画」は1936年の第二次四ヶ年計画のことで、第一次が雇用対策だったのに対して、第二次では食糧と原料を自給自足して戦争のできる国家にする内容です。ゲッベルスは「ご飯よりも大砲が大切」との掛け声を発したらしい。

ヒトラーの野望が支持されたのは、第一次世界大戦に破れ、ヴェルサイユ条約の重みで辛い思いをしてきたドイツ国民に対して、領地を増やすことで夢を見せたためです。

ヴェルサイユ条約によって領土を多数割譲され、とくに地下資源のある場所を失い、植民地がないため、食糧や原料の確保ができない。そこで旧領土を取り戻した上に、東に領土を拡大することをヒトラーは構想しました。目的地はソビエトです。ここで似た者同士であるソ連共産党との対立を引き起こすことになりますから、その正体はユダヤなのだという陰謀が必要になりました。

 

 

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