松沢呉一のビバノン・ライフ

強制収容所から生還してもポグロムで殺された—ポグロムから学んだこと[5](松沢呉一)

ポグロムの犠牲者は数十万人から百万人—ポグロムから学んだこと[4]」の続きです。

 

 

 

戦後もポグロムは続いた

 

vivanon_sentenceポグロムについて調べていくと、今までなんとなく考えてきたことが根底から覆されてしまうところがあります。単なる不勉強ってことだったりもしますが、この私の不勉強にも意味があるんだと思います(不勉強だったことの言い訳ではなくて、自分の中に思い込みがあったことに気づきました)。

しばしぱ「戦争だから仕方がない」という言い方がなされます。戦争になってからではどうしようもないことは実際にありましょう。戦争で殺し合いをするのは仕方がない。非戦闘員が殺されることがあるのは仕方がない。その延長上には、戦争だから原爆投下も仕方がない、戦争だから虐殺も仕方がないという言葉が待っています。

ところが、ナチスがいようといまいと、ポグロムは続けられてきたのであり、第二次世界大戦中のナチス政権下に留まらない。ユダヤ人たちは戦争がなくても殺されるのだし、戦争があったらいよいよ殺される。

強制収容所から生還したあと、ポグロムで殺された例もあったらしい(英語版Wikipedia「Anti-Jewish violence in Poland, 1944–1946」による)。収容所が地獄なら外も地獄。ナチスがいようといまいと殺される。アウシュヴィッツでは、ジプシーは一人残らず殺されてますから、アウシュヴィッツから生還したのは一人もいないのかもしれず、外に出て殺される心配はなかったわけですが。

ただし、英語版Wikipedia「Anti-Jewish violence in Poland, 1944–1946」を読んでも相当に複雑で、どこからどこまでがユダヤということで殺されたのかがはっきりしない。共産主義者と見なされて殺されていたり、強盗に襲われて殺されていたりもするようです。

※ヤン・トマシュ-グロス著『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義―ポーランドにおける虐殺事件を糾明する』はナチスが消えたあとのポーランドの反ユダヤ主義について書いたもので、注意深く読まなければならない本のようですが、注意深く読んでもどこがどうなのか私の薄い知識では判断ができないでしょう。

 

 

殺したポーランド人と殺されたポーランド人

 

vivanon_sentenceボーランドは第二次世界大戦が始まって独ソ戦の戦場となって国が分裂、ナチスとソ連と亡命政府のレジスタンスが入れ乱れます。アンジェイ・ワイダの世界。ドイツ撤退後はソ連の支配下に置かれるという混乱の中での話ですが、キェルツェ・ポグロムを筆頭に第二次世界大戦後でも数百から数千というユダヤ人がポーランドで虐殺されたことは間違いなさそうです。

小規模ながら、このキェルツェでは1918年にもポグロムが起きてます。リヴィウと同じです。同じ場所で繰り返し起きている。ナチスで世界は民族浄化の幻想がもたらす凄惨な結果を見たはずですが、それ以降も続いています。

ポーランドはポグロムが多く、「ドイツ人もひどいが、ポーランド人もひどい」って話ですけど、戦後のキェルツェ・ポグロムでは殺人者たちは裁かれていますし、ポーランド人の多くはこれをよしとはしておらず、葬儀も大々的に行われています。

以下の中に葬儀の記録映像が出てきます。

 

 

 

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