松沢呉一のビバノン・ライフ

ヒトラーという男—ポグロムから学んだこと[7](松沢呉一)


ナチスだけを見ているとわからなくなる—ポグロムから学んだこと[6]」の続きです。

 

 

 

ヒトラーという男

 

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ヒトラーにはなんらかの精神疾患があったと考えたくもなるのですが、ホロコーストという結果からそれを導き出すことは間違いです。そのことはルドルフ・ヘスの手記『アウシュヴィッツ収容所』を読んでつくづく感じました。アウシュヴィッツ収容所の所長をやった人間だから狂人であると思うと間違えます。

ありふれた人間がああなってしまうことが怖い。「ありふれた人間」とは言えないか。ヘスは抜きん出て優秀な人間だったのだろうと思います。連日、数百もの処刑命令を出すようになっても彼はなお狂ってはいない。ただただ自分に与えられた職務を忠実にこなしていくだけです。あの状態を平静にこなしていけること自体、異常ではあって、その異常さについてはまた改めて見ていくつもりです。

ヘスに比して、ヒトラーはもう少し特殊な精神を持っていたようにも思え、ヒトラーを知る人たちの証言にもそれが出ています。建築家であり、ヒトラー内閣で軍需大臣だったアルベルト・シュペーアは、ヒトラーと親しかったのですが、二十年の親交があったのに、ヒトラーを「正体不明」と評しています。本心を見せない人物だったようです。

また、青春期の証言にもヒトラーの特異な性格が見え隠れします。以下はハラルト・シュテファン著『ヒトラーという男—至上最大のデマゴーグ』に出ていたエピソードです。

 

 

彼は願望が必ず実現されることを信じて疑わなかったが、そのことは宝くじのエピソードに示されている。

この時期の友人アウグスト・クビツェクの言によれば、彼は一等賞が当たると思い込み、部屋の装飾模様にいたるまで徹底的に裕福な市民層の代表的な生活を模倣した。抽選の日にはからずも幻想が崩れ落ちると、期待を裏切られたヒトラーは激怒の発作を起こしながら事実を認めたが、それでも自分は当選するはずだったと言い張り続けた。

 

 

私も宝くじを買ったら、当選金を何に使うか書き出したりしますけど、あくまで願望であって、本当に当たるとは思わない。だからめったに買いません。

ここに出したのはヒトラーが10代半ばだった頃のエピソードです。のちに語られた友人の証言がどこまで信用できるのかという問題もありますが、これが事実だとして、もしヒトラーが偉大な画家になれていたのなら、このエピソードは、天才であることを裏付けるものになったはずで、これだけで異常であるとは言えそうにない。

※まさか誤解する人はいないと思いますが、サブタイトルでもわかるように、ハラルト・シュテファン著『ヒトラーという男—至上最大のデマゴーグ』はヒトラーおよびナチスを免責するような内容ではなく、冷静に実像をとらえようとしたものです。Amazonのレビューで翻訳がひどいと酷評されてますが、そうかなあ。わかりやすい文章でした。

追記:グイド・クノップ著『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』 によると、ただ豪邸を夢想をしただけのようです。『ヒトラーという男』の記述は、「徹底的に裕福な市民層の代表的な生活を模倣した豪邸を夢想した」という意味であり、翻訳が不親切だった可能性もありそうです。

 

 

ホロコーストで幻惑されたナチス研究

 

vivanon_sentenceハラルト・シュテファン著『ヒトラーという男—至上最大のデマゴーグ』はヒトラーおよびナチスを知るには絶好の一冊です。

冒頭に、戦後のヒトラー研究の経緯が概説されているのですが、研究者やメディアはヒトラーの人間性を憎むあまり、その世界観をとらえることができず、ヒトラーが大衆の不安や願望を正確に受け止め、それを政策に反映していったことを見据えるようになっていくのは1970年代以降だとしています。

それ以降の成果を踏まえて、この本ではヒトラーやナチスの実像を描き出すと同時に、それを支えたさまざまも同時に見逃すことなく描き出しています。

 

 

われわれは嫌悪を抱きながらも、あの時代に新たな出発と期待の気分が大多数の国民に漲っていたことを、見出し、認めなければならない。

 

 

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