松沢呉一のビバノン・ライフ

「ホロコーストはなかった」と「ナチスではなかった」—ポグロムから学んだこと[9](松沢呉一)

エビアン会議で見棄てられたユダヤ人—ポグロムから学んだこと[8]」の続きです。

 

 

 

世界はホロコーストを幇助した

 

vivanon_sentenceナチスがユダヤ弾圧を進めていく中、どうしてユダヤ人たちは逃げなかったのかという疑問に対する答えのひとつが前回見たエビアン会議です。

ナチスは段階的にユダヤ人の排除を進めていて、とくにベルリン・オリンピック前はそれをゆるめていたため、ユダヤ人たちは安心してしまったことがひとつ。ドイツで生活の場のある人たちはそう簡単に拠点が捨てられなかったことがひとつ。貧困層は逃げる金もなかったことがひとつ。そして、受け入れ先がなかったことが大きな理由になっていたのでした。

この時に、満州が受け入れていれば

これに対してヒトラーは、さんざんドイツを非難しておきながら自分らはユダヤ人を受け入れないとした各国に対して、「助ける必要はなく、道徳は無用」という宣言をしています。前回見たように、各国が受け入れなかったのもまた反ユダヤの考えに基づくものだったのですから、ヒトラーがそう宣言したことにも根拠があります。

ロシアや東ヨーロッパからの難民化したユダヤ人が流れ込んでいたドイツにとっては、「自分らの責任ではない」という思いもあって、「世界が見棄てたのだから、ドイツが解決してやろう」という気分になったのでしょう。

ムチャクチャな話ではあって、このことでナチスが免罪されるはずもないですが、世界各国が、助けられるユダヤ人を見棄てたと言われても仕方がない。

事実、ルドルフ・ヘスは『アウシュヴィッツ収容所』で、収容所の初期において、入国許可を出した国があった場合、ユダヤ人は収容所から解放することを前提とした待遇になっていたことを記述しています。マダガスカル計画じゃなくても、ある段階までユダヤ人を国外に送り出す気満々だったのです。

しかし、エビアン会議の決定によって、その可能性が断たれ、おそらくこの頃からヒトラーはホロコーストを実現することを選択肢のひとつとして具体的に考え始めていたのだろうと思います。

やがて戦争が始まり、収容所に押し込んでも次々と送り込まれてきて施設が足りない。収容施設を拡大しようにも資材が足りない。収容者が増えて食糧が足りない。管理をする人員が足りないという中で、その選択肢がなしくずしに実現されていったのがホロコーストという結末だろうと思います。『アウシュヴィッツ収容所』の記述からもそのことは読み取れます。

優秀だったと思われるヘス自身がここに送り込まれていたように、「最終解決」のための壮大な施設を維持するため、多大な人材や資材が収容所に注ぎ込まれていて、いかに効率よく虐殺していったとは言えども、とてつもない無駄をやっているわけで、ドイツとしては、もし受け入れ先があったんだったら、大喜びで送り出したはずです。

その道を塞ぎ、そうすることの罪悪感を軽減したのがエビアン会議でした。

 

 

「ホロコーストはなかった」と「ナチスではなかった」

 

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では、まとめに入ります。

イェドヴァブネ・ポグロムリヴィウ・ポグロムを取り上げようとすると、「ナチスによるホロコーストではなかった」という論になります。ナチスが悪いのは当然として、その上で「悪いのはナチスだけではなかった」ということですけど、個別には「やったのはナチスではなかった」「ナチスのホロコーストではなかった」ということにならざるを得ません。

あるいは国会議事堂放火事件は共産党員がやったものだという主張もやはり「ナチスがでっち上げたのではない」「ナチスの自作自演としたのは冤罪だ」という主張になります。

エビアン会議を持ち出すと、非難の矛先はナチス以外にも向きます。

それらに対して、あるところからは冷静な研究、議論が出てきますが、それまではそういった意見を言ってもおそらく封殺されたでしょう。「ナチスを擁護するのか」「ナチスのやったことを軽んじるのか」「ナチスを追及することに水を差すのか」「そんなことを言う暇があるならナチスを叩け」などなど。だから現にイェドヴァブネ・ポグロムの実情はわからないままでした。

 

 

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