松沢呉一のビバノン・ライフ

ホルスト・ヴェッセルの英雄化とドイツ共産党の拙攻—ナチスはなぜ売春婦を抹殺しようとしたのか[2]-(松沢呉一)

 

売春婦の元締めはユダヤ人だった?—ナチスはなぜ売春婦を抹殺しようとしたのか[1]」の続きです。

 

 

ホルスト・ヴェッセル殺害の背景

 

vivanon_sentence売春業はユダヤが牛耳っているという見方を強固にしたかもしれないナチスのエピソードがあります。ホルスト・ヴェッセルの死です。

Wikipediaから転載します。

 

 

1930年1月14日にヴェッセルは、共産党の準軍事組織赤色戦線戦士同盟の隊員であるアルブレヒト・ヘーラーに銃で撃たれた。ヴェッセルは搬送先の病院で生死の境を彷徨った後、2月23日に敗血症のため死亡した。22歳だった。

この事件については概ね次のような経緯であったといわれる。ヴェッセルは娼婦のエルナ・イェニケ(Erna Jänicke)と愛人関係になってフランクフルト街にあるザルム未亡人の家に2人で下宿して同棲生活を送っていた。ザルム未亡人が「今は2人で生活してるのだから」と2人分の家賃を要求したところ、ヴェッセルはそれを拒否した。亡き夫が赤色戦線戦士同盟の隊員であったザルム未亡人は、赤色戦線戦士同盟に顔が利いたので、赤色戦線戦士同盟隊員ヘーラーにヴェッセルに対する「プロレタリア的譴責」を依頼した。しかし運動上ヴェッセルと敵対関係にあったヘーラーは家賃取り立てそっちのけで殺害することを決意し、エルウィン・リュッカート(Erwin Rückert)とともに、ヴェッセルの部屋に向かい、ドアをノックした。ヴェッセルがドアを開けたところをヘーラーがヴェッセルの頭めがけて銃を撃ち、その銃弾が口を貫通したという経緯である。

ヴェッセルはナチ党ベルリン大管区指導者ヨーゼフ・ゲッベルスが発行していた新聞『デア・アングリフ』に政治詩を投稿していたため、この事件はゲッベルスの関心を引いた。ゲッベルスはただちにヴェッセルを殉教者として徹底的に英雄化するキャンペーンを行い、ヴェッセルが書いた詩を歌詞として「旗を高く掲げよ」を作曲させた。そしてヴェッセルがいまだ生存している2月7日の段階で早くもスポーツ宮殿での党集会においてそれを歌せている。この「旗を高く掲げよ」は後に党歌となる。

一方共産党は銃撃事件の翌日にも「事件はヒモ同士のもめ事でヴェッセルはヒモだった」と総括した。実際にはヴェッセルは売春婦と同棲していただけでヒモではなかったが(なおヘーラーは本当にヒモだった)、共産党としては事件に党の運動上の対立の面があることを隠蔽して私的対立ということにして片づけたい思惑があった。

3月1日にはゲッベルスがヴェッセルの葬儀を行ったが、共産党員たちが「ヒモのヴェッセルに最後のハイル・ヒトラー」と葬儀を馬鹿にした横断幕を掲げたり、墓地の外から投石するなどの妨害を行った。ゲッベルスはその時の情景をパセティックに次のように描いている。「彼の棺が冷たい土の中へ滑って行ったとき、外の門の前では下等人間が放埒な叫び声でがなり立てていた。我々とともにある死者はその弱弱しい手を挙げて暮れ行く彼方を示した。『墓を超えて進め。目指す先にドイツがある!』」

ナチ党党首アドルフ・ヒトラーは事件当時ヴェッセルがナチ党の英雄になるなどとは露程も思っておらず、ゲッベルスがいつも通り死んだ突撃隊員を手当たり次第に殉教化してるだけだろうと冷めた目で見ていた。そのためヴェッセルの葬儀にも出席していない(ヒトラーはヴェッセルが英雄化された後になってようやく墓参りした)

結局のところ、ヴェッセルの伝説はナチ党が意図して広めたというよりも、共産党が自党と無関係であることを強調するために「ヴェッセルはヒモ」の大宣伝を行い、それに反発したナチ党が一層ヴェッセルの殉教者化を行い、その派手な宣伝戦の末に生まれた産物だったといえる。その意味においてホルスト・ヴェッセル伝説はナチ党と共産党の合作物だった

 

写真はWikipediaよりホルスト・ヴェッセル

 

ゲッベルスは目ざとい。利用できるものはなんでも利用する。ヒトラーもそうですけど、ヒトラーはあちこちから換骨奪胎する手法なのに対して、ゲッベルスは1のものを100に見せかける手法が得意です。ヒトラーは他から自分の都合に合わせて中身のありうなものを持って来るのに対して、ゲッベルスは中身のないものに宣伝力で中身を与えていく。

ホルスト・ヴェッセルの話はここまでに読んだ複数の本に出てましたが、いずれもヴェッセルが売春婦とつきあったがために、ヒモ連中から殺されたという話になっていて、殺したのは赤色戦線戦士同盟のメンバーだったということまでは触れられていませんでした。よって背景がわからず、ヒモ連中が金づるを奪われて殺したようにしかとらえられない。これは当時の共産党のプロパガンダに乗ったものとも言えます。

Wikipediaが正しいとなお断定はできないですが、記述がもっとも詳しく、この記述の方がより正確だとの感触があります。ナチスに関するWikipediaの記述は侮れません。

 

 

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