松沢呉一のビバノン・ライフ

顧みられない売春婦たち—ナチスはなぜ売春婦を抹殺しようとしたのか[3]-(松沢呉一)

 

ホルスト・ヴェッセルの英雄化とドイツ共産党の拙攻—ナチスはなぜ売春婦を抹殺しようとしたのか[2]」の続きです。

 

 

 

釈然としない売春婦の強制収容所送り

 

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現実にそういう評価が生じたとの記述は見つけてないですが、ホルスト・ヴェッセルを殺したのがヒモであったことから、あるいはそうではなくても、売春婦と同棲したことから始まっているために、「やっぱり売春業はユダヤに牛耳られていて、共産党とつながっている」という連想がナチス側に生じた可能性がありそうです。そうは思っていなくてもそういうことにしておこうとゲッベルスなら考えそう。

ここからヴェッセルの英雄化とともに売春に対するナチスの憎悪も高まったのではなかろうか(あくまで可能性)。

ヒトラーが、売春業の元締めはユダヤだと書いているにもかかわらず、売春婦とつきあったヴェッセルは軽卒だったという反省になってもよさそうですが、都合の悪いことは見ないってことで。

ユダヤ人と売春業とのつながりをナチスが信じていたのだとしても、さらにはそこと共産党が通じていたのだと信じていたのだとしても、ひっかかることがあります。

ユダヤ人が多いとして金融業者のすべてを収容所に入れたわけではないのですし、同じく芸術家、音楽家のすべてを収容所に入れたわけではなく、売春業に従事するユダヤ人はユダヤ人として収容所に入れれば事足りるはずです。

もともと蔑視される業種ですから、そこにユダヤ憎悪や共産党とのつながりが加わって、すべてが否定されていったという流れはありえますが、ドイツには第一次世界大戦時も、第二次世界大戦時も、兵士のための慰安所があったはずです。

また、安達堅造が書いていたように、戦前のドイツでは、至るところに売春をする女たちがいましたし、娼家もありました。この辺についてはドイツに留学経験があり、帰国後もドイツのことをよく書いていた丸木砂土(秦豊吉)の本で私は読んでます。

The election Sunday in Berlin, which was operated with great propaganda acts by any party from. Propaganda cars of the Communist Party when crossing the Alexanderplatz. Berlin, 1924. 選挙の際の共産党の宣伝カー。前回の写真との比較として出してみました。これも自動着色ですが、前回同様、赤旗の赤がきれいに出てません。揺れると旗は認識しづらいのだと思います。こういう赤旗にヒントを得て、ヒトラーはハーケンクロイツを乱立させたのでした。

 

ドイツの売春法制史

 

vivanon_sentence自動翻訳なので、正確にはわからないですが、ドイツ語版Wikipediaなど、いくつかの文書を参考にすると、売春宿が公認されていた時期もありつつ、19世紀末以降、管理売春は違法となり、1901年、民法上、売春は不道徳な行為とされます。これは、たとえば客の未払いについての請求権がなく、労働者として社会保障が受けられないといったように、民法上の権利がなく、保護もなされないってことに留まりましょう。

どうやら個人売春については刑法上の規制はなく、区域制限があっただけのようです(性病検査も義務づけられていたっぽい)。

だからカフェーにもキャバレーにも売春婦たちがいました。娼家も存在していましたが、黙認されていただけのようです。

 

 

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