松沢呉一のビバノン・ライフ

ドイツ国民はどこまでホロコーストのことを知っていたのか—『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』より[3]-(松沢呉一)

ヒトラーの演説に人々が熱狂したのは言葉ではない—『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』より[2]」の続きです。

 

 

 

ドイツの国民はどこまで知っていたのか

 

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グイド・クノップ著『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』より。

 

誰も説明してくれません。犯罪のことは何も知らなかったと言って。でも、何が起こったのかは皆が知ってました。目を背けていただけです。SSがわたしと家族の手足や髪の毛をつかんでトラックへ放り込んだときも、隣近所の人たちはカーテンの陰で見て見ぬふりをしてしました。知らないふりをしたのは、自分の命が危険にさらされるからです。「ユダヤ人お断り! ユダヤ人はお陽様の下に出てくるな! ユダヤ人お断り! 」という札が床屋やパン屋や食料品店のまえに掲げられました。こうした残虐な仕打ちはすべて人々の目の前で行われましたが、何もしてくれませんでした。皆おびえていました。でも、同じ立場になれば、わたしも臆病者になっていたでしょう。

———ケン・J.ベルガー。1924年生まれ(ドイツを亡命したユダヤ人)

 

 

戦後になると、今度はナチスの協力者たちが責められる番になったので、「知った上で支持していた」「知っていたけれど、黙っていた」と正直に言うより、「知らなかった」と言っておくのが無難です。

ドイツ人に限らず、戦争のあとの人々の言葉は信用ができない。

日本で言えば戦争にあれだけの期間、あれだけの協力をしてきた矯風会が何を言い出したかを想起していただきたい。戦争に反対することは困難だったでしょうから、反対しなかったことは責められないと思います。しかし、積極的に協力した人たちが、戦争が終わって、殺されるわけでもないのにウソをつき続けることは許されるべきではない。

東京女子医大のサイトを見ても、吉岡彌生がナチスをあれだけ礼讃した国家主義者であったことを知ることはできない。人は事実を直視して反省をすることが苦手なのです。私も苦手ですけどね。ナチスのことをこれまでちゃんと調べようとしなかったのは、たとえばここに出したような写真も直視したくないからだったりします。

それでも、強制収容所で何が行われているのかまではドイツの国民は知らなかったのだろうと長らく私は思っていたのですが、さまざま読んでいくうちに、これも怪しくなってきました。大多数は知らなかったとしても、知っている人たちが確実にいました。

ルドルフ・ヘスも『アウシュヴィッツ収容所』にそのことを書いています。いくら口外を禁止していても、強制収容所で何が行われているのかの情報はあちこちから漏れていたと。

Nazi soldiers march Jews out of the ghetto on 19 April 1943 アウシュヴィッツの写真より、生活の場に近いこういう写真の方が私は苦手です。多くの場合、人目につきにくい時間帯だっため、こういうところにたまたま通りかかることは少なかったとは言えども、近隣の人は気づくでしょ。

 

 

ホロコーストを知っていた人々

 

vivanon_sentence絶滅収容所は民家が密集するような場所にあったのではないにせよ、住民がいますから、連日列車で大量の人が運び込まれ、一日中、煙が焼却炉の煙突から出ているのを見て気づいていたとルドルフ・ヘスは書いています。

ポーランドはただでさえナチスドイツに侵略された側であり、ユダヤ人ではなくても多数の人が虐殺されていますから、下手なことは言えない。それでもユダヤ人を匿って助けた人たちが多数いて、そのために殺された人たちがまた多数いました。それができなかったからと言って誰が責められましょう。

 

 

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