松沢呉一のビバノン・ライフ

障害者を抹殺するT4作戦に反対した人たち—『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』より[4]-(松沢呉一)

ドイツの国民はどこまでホロコーストを知っていたのか—『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』より[3]」の続きです。

 

 

 

T4作戦の場合

 

vivanon_sentenceグイド・クノップ著『アドルフ・ヒトラー五つの肖像』には、ユダヤ人に比すと、着目されることが少ない精神障害者の安楽死の話が出ています。T4作戦です。

身体障害と知的障害の子どもを持つ親がヒトラーに対して安楽死を求める手紙を送ったことにヒトラーが食いついて、その子を安楽死させます。これを契機にして、1939年、悪性の遺伝子を持つ人々を抹殺するT4作戦が実施されていきます。ホロコーストの端緒になった作戦です。「価値のない存在は殲滅する」という考え方がホロコーストに通じるだけでなく、T4作戦で使用された排気ガスによる殺害方法「ガストラック」は、絶滅収容所でも採用されています(アウシュヴィッツで使用されたチクロンBはすべての絶滅収容所で使用されていたわけではない)。

当初は身体障害は対象になっていないようで、これは身体障害のあったゲッベルスに対する配慮か?(ゲッベルスの障害はポリオによるものなので、T4作戦の対象ではないですが)

施設にいる精神障害者たちは安楽死のための施設に移送されて殺され、家族には適当な病名が書かれた死亡通知書が届きます。盲腸の手術を過去に済ませているにもかかわらず、子どもが盲腸で死んだという通知が届く。おかしいと思って、同じ施設に子どもを預けている親に問い合わせたら、同じ日付、同じ病名で、そちらの子どもの死亡通知も届いていたことが判明。

殺されたのではないかと気づいた親たちが騒ぎ出し、1941年8月、これを受けて、ミュンスター大司教クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレン(Clemens August Graf von Galen)伯爵が教会の説教でこの事実を暴露して批判し、この説教が文書化されたものが配布され、英国軍はこの一部を使ったビラを作成して飛行機で散布しました。

ヒトラーはこれを受けて計画の継続を中止させています。

結局は内密に再開されて、二万人の精神障害を持つ子どもが殺害されたそうですが、ひとたびはヒトラーを動かすくらいの流れを作ることができたのですね。

This poster is from the 1930’s, and promotes the Nazi monthly Neues Volk(New People}, the organ of the party’s racial office. ナチスの人種・人口問題を担当する人種政策局が発行していた雑誌「Neues Volk」(新しい国民)のポスター。いかに障害者は無駄なコストがかかるのかというメッセージ。その結果、すさまじく無駄なことをやったのがナチスのくせに。

 

 

ガーレンは親ナチスだった

 

vivanon_sentenceアドルフ・ヒトラー五つの肖像』にはガーレン大司教がそのあとどうなったのかは書かれていませんが、Wikipediaによると、戦後まで生き続けているので、殺されずに済んでます。

 

 

なお、本人は至って保守的な人間で第一次世界大戦第二次世界大戦におけるドイツの立場を支持し、第一次大戦のドイツの敗戦についての「背後の一突き」伝説も信じていた。しかし、「戦争でも正当防衛でもないのに『汝殺すなかれ』の教えを破ることは許されない」という信念・信仰から強硬にT4作戦に反対し、他の要因もあって公式には作戦は中止されることとなった。

T4作戦を批判したことで秘密警察から逮捕の予告を受けたことがあったが、ガーレンは「大聖堂の前で司教の正装で待っているからいつでも逮捕に来い」と答え、「正装したローマ・カトリックの司教を逮捕する」イメージを恐れた秘密警察はとうとう逮捕を断念した。また、ガーレンの説教中に聴衆の中から「妻子もない独身者が何の権利があって家族や結婚の問題を語るのか」との声が上がった際には厳粛な口調で「この大聖堂内で敬愛する総統への批判については絶対に容赦しない」と応じている(カトリックの聖職者もアドルフ・ヒトラーもともに独身である)。

 

 

背後の一突き伝説」は「匕首伝説」とも言われ、第一次世界大戦で負けたのは、国内のユダヤ人=ボリシェヴィキが後ろから足を引っ張ったためだという右派によるネガキャンで、根拠はなし。ナチスもこれを盛んに喧伝していて、それを信じていたというのですから、どういう人かわかりましょう。

後段の「敬愛する総統への批判については絶対に容赦しない」という言葉は皮肉ではないのだろうと思います 結局のところ、この人はナチスそのものに対しては批判的ではなく、むしろヒトラーを信奉していたようです。

宗教活動ができなくなるかもしれないのですから、宗教者が反共、反ソ連になるのは自然な流れだとして、「ボリシェヴィキ=ユダヤ」説も信じていたっぽい。

そのため、戦後、ナチスの抵抗者として持ち上げられることに対しても批判があります。それでもはっきりと抵抗したのですから、ナチス支持であったことを指摘しつつ、その行動は褒め称えていいんじゃないですかね。

ludwig-hohlwein-neues-volk-1938 同じく雑誌「Neues Volk」のポスター。健康の礼讃は怖い

 

 

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