松沢呉一のビバノン・ライフ

「ナチス体制からは逃げられない」と断言—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[2]-(松沢呉一)

私には罪はない—ゲッベルスの秘書が残した言葉[1]」の続きです。

 

 

 

知識が距離を縮め、縮んだ距離が感情を生む

 

vivanon_sentenceブルンヒルデ・ポムゼルの証言を編集したドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」は昨年日本でも公開されていて、監督らが来日した時のこの記事も読んでました。

 

 

2018年06月16日付ハフポスト「ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ

 

 

ナチスに興味がなかったわけではないですが、知識がなかったので、こちらもサラリと読んで済ませました。

今読むと、最初に読んだ時は読み取れなかった意味が見えてきます。

 

 

トークショーを通じて、二面性が一つのキーワードとして浮かび上がる。そこで明かされたのは、冷静沈着に見える彼女の意外な一面だった。

彼女は多くのユダヤ人の死については「私に罪はない」と静かに語る一方で、ゲッベルス家の子供たちが殺害される場面を証言する際には感情があらわになりかけ、涙を流さないよう自分と戦っていたと監督たちは語った。

クレーネス監督はさらに踏み込んで、「ナチス抵抗運動」についての証言に注目する。非暴力主義でナチスに対抗しようした白バラ運動、その中心になったショル兄妹らにポムゼルは感情を突き動かされている。

彼女が感情が向かうのは、あの時代にナチスに抵抗した勇気ではない。若くして亡くなってしまった人たちへのある種の同情だ。

《彼女はあんな若い人たちが亡くなってしまったということに感情を動かされていた。ナチスに対して「何もしなければよかったのに」「黙っていれば死なずに済んだのに」と語るのです。

ここに彼女の人生哲学が現れています。彼女は何も言わずに、口を閉ざす。だから彼女はここまで長生きできたのではないかと思うのです。》

良心に殉じることよりも、耐え抜くことを選ぶ。

 

 

ポムゼルはゲッベルスの家族にも会ったことがあるのでしょう。そういう存在の死に対しては悲しみがこみ上げる。白バラ運動も、どういう若者たちだったのかを知ると感情が溢れる。なのに遠いユダヤ人たちには冷淡。

この二面性は彼女だけではなく、ナチスに、あるいはドイツ国民に広く見られます。

 

 

二面性と二重規範

 

vivanon_sentence二面性が同時に存在していた典型はルドルフ・ヘスです。ヘスの手記『アウシュヴィッツ収容所』では「よき夫・よき父」と「とてつもない犯罪を進行させた冷血漢」とが同時進行していく。それが読む側を動揺させます。この動揺は、ユダヤ人の少女に笑顔を見せるヒトラーの写真の動揺と同じ質のものです。

知ってしまうと殺せなくなる。知ってしまうと感情を揺り動かされる。知ってしまうとそれをどうすべきかを考えなければならなくなる。知ってしまうと仕事を失ってしまう。

だったら知らないでおこうと多くのドイツの国民は考えたのだし、ブルンヒルデ・ポムゼルもそうだったのでしょう。

ヒトラーだってそうでした。死ぬまでヒトラーは自分の弱さ、ダメさを自覚できなかったのだと思うし、自覚する機能が欠けていました。しかし、弱さを自覚していたからこそ、死の現場には立ち会わないようにしていたのかもしれない。

その弱さと向き合わない仕組みができていて、すべては机上のフィクションです。虚構のユダヤ人を殺せたように、虚構のドイツ人だって殺せる。陳腐な表現ですが、ヒトラーにとってはすべてゲームにすぎなかったのだろうと思います。

戦争になると顕著で、軍部からの進言も耳に入れない。最終解決を命じながらも、その現場は見ない。見たいものしか見ない。J・P・スターン著『ヒトラー神話の誕生』によると、絶滅収容所に一度も行っていないだけでなく、それ以外の場面で処刑命令を出しても、処刑に立ち会ったことは一度もなたかったとのことです。また同書によると、母親の主治医を助けただけでなく、自身の料理人の中にいたユダヤ人も強制収容所には送っていないようです。虚構のユダヤ人は殺しても、生身のユダヤ人は殺せない。

関連書を読み過ぎで。誰が書いていたのかわからなくなってしまいましたが、ナチスは壮大な思考停止が作り上げたといったことを書いている人がいました。たしかに壮大な思考停止がそこでは進行していきました。

※YouTube「Berlin and Potsdam 1945 – aftermath (HD 1080p color footage)」より戦争直後のベルリン。石造りのため、外側は残っていますが、ことごとくと言っていいくらいに建物は破壊されています。

 

 

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