松沢呉一のビバノン・ライフ

ユダヤ系の恋人がいた—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[3]-(松沢呉一)

「ナチス体制からは逃げられない」と断言—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[2]」の続きです。

 

 

 

ブルンヒルデ・ポムゼルにはユダヤ系の恋人がいた?

 

vivanon_sentence

ブルンヒルデ・ポムゼルのことが気になって、ネットで検索してみました。

日本語版のWikipediaには彼女の項目はないのですが、独語版英語版はありました。それを読んで愕然としました。

だいたい以下の内容。

 

 

彼女は死ぬ直前に、ユダヤ人の母親を持っていたゴットフリート・キルバッハ(Gottfried Kirchbach)という男と恋に落ちていたことを明らかにした。 彼らは一緒にドイツを去ることを計画し、1936年、先にキルヒバッハはアムステルダムに逃げて、新しい生活を始めた。 キルバッハが、そうすることは危険であると話すまで、ポムゼルは彼を定期的に訪問した。彼女は妊娠していたが、重篤な肺の不調があったので、彼女も死ぬかもしれないと医者が彼女にアドバイスし、彼女は中絶した。 

 

 

彼女がナチス党員になって、国営放送で働くようになったのは1933年。宣伝省の秘書だったのは1942年から1945年の戦争終結までです。この恋人がいたのは国営放送で働いている間のことです。この時の国営放送は、すでにナチスの宣伝機関に成り下がってましたから、宣伝省傘下の 一部門のようなものでしょう。

ナチス党員だったこと、そんな仕事をやっていたことと、この恋愛はどう折り合いをつけていたのか。彼女が「あの体制から逃げることはできない」と断言していたのはこのことと関係があるのか。疑問が次々と湧いてきます。

しかし、私がこれまで読んだ記事ではこのことは触れられていませんでした。知っていたなら、触れないではいられないはずです。Wikipediaにつきもののガセか? あるいは映画を観た人、本を読んだ人だけがわかるようにするために、情報を出さなかったのか?

Amazonのレビューもチェックしました。誰もこのことには触れてません。どういうことだ?

参照元を辿ったら、この元ネタはドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」のプロデューサーであり、監督でもあるフロリアン・ヴァイゲンザマー(Florian Weigensamer)です。ブルンヒルデ・ポムゼルが亡くなった時にそう語っています

これは映画や本の段階ですでに語っていたことなのか、であるなら、本や映画にも収録されているのか、それとは別の場で語ったことなのか。考えてもわかりそうになく、本を読むしかないということになって買って来ましたさ。

独語版「Ein deutsches Leben」 日本版の表紙もいいですけど、オリジナルはもっといい。

 

 

鈍感な生き方をした人の記録

 

vivanon_sentenceゲッベルスの評伝は、二段組みで文字が小さくて、老眼の私にとっては読むのが辛くて、先にゲッべルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白』を読みました。この本は、秘書として、ゲッベルスの姿を間近に見ていた人の記録としてではなく、当時のドイツで鈍感な生き方をした人の記録として大変面白く読みました。

彼女が自分には「罪はない」「責任はない」と断言し、いまなおゲッベルスを褒めているところを切り取ると、「なんだ、この人」ということになってしまうのですが、本書ではゲッベルスを強く批判もしています。とくにゲッペルスと妻のマクダが、6人の子どもを道連れにしたことを「臆病者のふるまい」「戦争にも匹敵する大きな犯罪」としています。

ユダヤ人を虐殺したことに対する怒りより、このことに対する怒りの方が言葉が強いかもしれない。

彼女が「罪はない」「責任はない」と言っているのも、本を通して読むと、その実感はある程度は理解できてしまうのです。同意するかどうかはひとまず置くとして、そうなることは理解できる。

※YouTube「Is It Pagan? By Goebbels」よりゲッベルス。おそらく宣伝省で撮影したものでしょう。この時代としては珍しく、交換手を通さない直通の電話を使っていた旨がゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白』で語られています。フィルムもカラー。最先端づくし。

 

 

next_vivanon

(残り 1736文字/全文: 3494文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック