松沢呉一のビバノン・ライフ

ゴットフリート・キルシュバッハのことをなぜ語らなかったのか—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[6]-(松沢呉一)

無知・無関心が自身を死の淵に追いやった—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[5]」の続きです。

 

 

 

ゴットフリート・キルシュバッハとの恋

 

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彼女の行動でもっともよくわからないのはゴットフリート・キルシュバッハのことです。このことは、彼女の言い分が信用するに足るのか否かを決定づけそうに思います。

ゲッべルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白は2013年に行われた映画のインタビューをまとめていて、そのインタビューのページが終わったあと、追記のような形で、2016年に語られたこの話が書かれています。死の直前に初めて語られたものです。

1936年、べルリン・オリンピックの前に2人は居酒屋で知り合います。彼はよく名前を知られる挿絵画家だったらしく、社会民主党のポスターも制作してましたから、思想的には左派なのでしょう。そして、母親はユダヤ人です。

オリンピックの頃はユダヤ人に対する迫害をナチスは抑えていて、その頃に二人は知り合い、オリンピックのあと、彼はアムステルダムに脱出します。彼女も一緒についていくつもりで、荷物をまとめていたのですが、キルシュバッハはまずは自分が先に行って、生活の基盤を整えてからだとそれを止めました。

その時彼女は妊娠していたのですが、彼女は肺が悪かったため、医者の勧め通りに中絶をします。彼女が繰り返しアムステルダムを訪れることに対してキルシュバッハは危険だと言い、それからは会ってません。

1942年にキルシュバッハはアムステルダムで死亡。死因は書かれていませんが、1940年にオランダはナチス支配下に置かれていたので、ユダヤ系であったことが関係している可能性がありそうです。

ざっとそんな話で、この時も彼女は詳しいことを語りたがらなかったそうで、1ページ半ほどの短い記述です。

ドイツ語版もブルンヒルデ・ポムゼルが亡くなったあとに出版されているので、なにも追記扱いにせず、本文に組み込めばよかったはずです。どうしてそうしなかったのでしょうか。正規のインタビューではなく、雑談の中で出てきたものかもしれず(おそらくそうなのでしょう)、内容としても、すべてがひっくり返ってしまうためだろうと想像します。

for the Berlin 1936 Summer Olympic Games by Franz Wurbel  このポスターはキルシュバッハと無関係です。

 

 

なぜキルシュバッハのことを語らなかったのか

 

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これを知りたくてゲッべルスと私を読んだわけですけど、内容はWikipediaと大差はありませんでした。しかし、映画では語らなかったことを亡くなる直前に語ったことが確認できました。映画では語らなかったことで、ここになにかしらの意味があったと彼女は自ら語っているのだと言えます。

このエピソードは「へえ、こんなこともあったんだね」と終わるものではありません。Amazonのレビューで誰もこのことに触れていなかったのは不可解です。ここにこそ、彼女の証言を解読する鍵があるのに。

この時点では人種法によって、ユダヤ系とアーリア系ドイツ国民との結婚は禁止されていましたから、もし彼女がナチスの信奉者だったとしたら、ユダヤ系だとわかった段階でキルシュバッハを遠ざけたのではないかとも思えます。あとになって告白されたのかもしれないですが、オランダに脱出した段階ではわかっていたでしょうから、ユダヤ系だったら、ついて行こうとはしなかったのではないか。あるいは虚構のユダヤ人は否定しても、目の前の恋人は否定できなかっただけか?

ナチスの積極的な支持者であったことははっきり否定できそうですが、今度はこのことを映画では語っていないことが理解しにくくなります。「自分はナチスに加担していていない、ユダヤ人の迫害には反対だった、だから自分には罪はない」という主張を裏づける絶好の証拠だとも言えるのに、なぜ語らなかったのか。自身の恋愛については照れくさくて語れない人もいますけど、他の恋人のことは語っています。

キルシュバッハから、なぜ自分は逃げなければならなかったのかの事情を聞き、ナチスはいったい何を主張しているのかについて語り合ったのではないか。そういった話が二人の間で一切出ず、中出しセックスばっかりしていたと考えることはあまりに不自然です。

 

 

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