松沢呉一のビバノン・ライフ

歴史を検証することは我が身を検証すること—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[9]-(松沢呉一)

ブルンヒルデ・ポムゼルという役者—ブルンヒルデ・ポムゼルが残した言葉[8]」の続きです。

 

 

 

ポムゼルがナチスを生んだ

 

vivanon_sentence

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白の解説部分によると、映画「ゲッベルスと私」を観た人たちで、彼女をストレートに批判する人はほとんどいなかったそうです。私は批判してますが、ここまで見てきたような経緯を経てからのことであり、本を読んだ段階では私もどう評価していいのか迷いました。

彼女自身が語る彼女は、その時起きていることを知ろうともしていなかった人です。知っていたのに知らなかったと言い張る人、知ると面倒なので見て見ぬ振りをした人ではなく、関心がなかった人です。知ろうとする意欲もない上に、責任を自覚する能力に欠けていたとも言えます。

私はそこにごまかしがあると思っていて、その点につき批判しますが、仮にそういう人物であったのだとした場合、批判できるのかどうか。「ゲッベルスの秘書」という言葉からイメージされる「能力が兼備わった人物」というのとは全然違って、能力が欠落した人です。また、「宣伝省で最後まで残った10人の1人」というイメージとも違って、彼女は子どもと同じです。子どもを批判できるのかどうか。

彼女はナチスが台頭するまで、反ユダヤの意識なんてまったくなかったと言っています。社会全体になかったのであって、反ユダヤはナチスの創作だと。

これもいちいち弁明していて、彼女の住んでいたのは富裕層のエリアであって、ユダヤ人の店が襲われるところを見たことがなく、連行されるところも見たことがないと言っています。焚書も報道を見ただけだと。身の回りではそうだったかもしれないですが、だからと言って「私」を基準にドイツ全体を語っちゃダメです。これはまさに子どもの視点です。自分と他者が混在していて、「自分が見てないから他人も見てない」と思えている。

見たことがなかったにせよ、当時だってある程度のことは報道されていたのだし、焚書のようにナチス自身が積極的に宣伝をしたのもありました(というより焚書は宣伝のためにゲッベルスがやったことです)。なにより、恋人がアムステルダムに逃げ、友だちのエヴァが消えたことを知っていただろうに。

彼女は自身を基準に全体を語りたがる傾向が強く、実際には皆が皆そうだったはずがないことはここまで書いてきた通りです。ナチス登場以前から反ユダヤは脈々と続いていて、とくに東ヨーロッパではポグロムが続けられてました。

その点、オーストリアやドイツでは比較的ゆるかったとは言え、広く国民の中には反ユダヤの意識があって、障害者の虐殺には反対した人たちが多数いたのに、比較にならず大規模に行われたユダヤ人虐殺には反対をしなかったのはなぜかを考えざるを得ない。

しかし、ポムゼルの言い分を信じるなら(私は信じませんが)、そんなことは考えたこともなかったようです。

※YouTube「We Have Ways of Making You Think – Goebbels Master of Propaganda – BBC Documentary 1992」よりゲッベルスの娘。かわいい。「よき父」「よき家族」の宣伝のためにさんざん娘を利用しておきながら、最後は抵抗する娘を殺したのであります。

 

 

それでもポムゼルを批判しにくい理由

 

vivanon_sentenceポムゼルのような人々の集積がナチスを生み出しました。

独裁者のくせに、ヒトラーは大衆の反応を気にしていました。だから、障害者の虐殺については表向き中止を発表しています。以降も内密に続けられたのはヒトラーの意思ではなく、ひとたび動き出した組織が止められなくなっていたためかもしれない(ここは調べないとわからない)。

ユダヤ人の迫害についても早い段階で国民が反対をしていたら、ホロコーストにまで行きつかなかった可能性があります。反対すべき人たちがあらかた消えていたせいでもあるのですが、「水晶の夜」に対しても反対はとくに起きなかったようです。

そのくせ、戦後は「悪いのはヒトラー。ホロコーストは一人の狂人がやったこと」という考え方になっていき、それを支持した、あるいは容認した多数の国民を覆い隠しました。日本でもこういうことが起きました。

「私」を捨てて全体のパーツとなり、無知であり続け、無関心であり続け、思考停止したことがナチスを生み、ナチスを支えたのです。

 

next_vivanon

(残り 1501文字/全文: 3329文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ