松沢呉一のビバノン・ライフ

そして、エルンスト・レームは殺された—ナチスと同性愛[6]-(松沢呉一)

レームが同性愛者であることが新聞で暴露された—ナチスと同性愛[5]」の続きです。

 

 

 

エルンスト・レームの実力

 

vivanon_sentenceコレクションを増やすだけで、この流れを食い止めなかったレームを私は見損ないました。どんだけ私はレームに期待していたんだって話ですが、ヒトラーとマブダチの実力者なんだから、少しは反発する動きを見せて欲しかったものです。

ここでレームがいかに力をもっていたのかの説明をしておきます。

ナチスの武装組織は、エルンスト・レームをトップとする突撃隊(SA)とハインリヒ・ヒムラーをトップとする親衛隊(SS)のふたつあって、突撃隊は、集会警備を主な任務として結成されます。レームの名前までは出ていなかったと思いますが、突撃隊が敵対する共産党と乱闘する様が『我が闘争』でも描かれています。こういうのがレームは得意。

やがて、突撃隊は軍事訓練もやる武装集団に発展していき、ナチスの勢力拡大とともにすさまじい勢いで人数を増やしていきます。1931年の時点で7万人、翌年には17万人もの組織になっていて、粗製とは言えども、人数で言えば、この段階ですでに国軍を凌駕しています。

対する親衛隊は突撃隊からいくらか遅れて、ヒトラーの護衛から始まっています。親衛隊も人数を急増させてましたが、こちらは突撃隊の数分の一の規模でした。

この頃までは突撃隊が準軍事組織、親衛隊は準警察組織という棲み分けになっていて、政治力や工作に長けた親衛隊に比して、突撃隊は物理的闘争が得意。

Röhm on the right with Heinrich Himmler in the middle, circa 1933.

 

 

エルンスト・レームの立場

 

vivanon_sentenceレームにしてみれば、国内最大の人数を誇る武装組織を率いているわけですから、いざとなればクーデターでも起こして、自分が国のトップに立てるくらいのことは考えていたのだろうと思います。

しかし、レームによるクーデターはあまり現実的ではありません。末端の突撃隊員は質が悪く、仕事のないチンピラが突撃隊の制服を来て我が者顔で街を闊歩して暴力沙汰を起こすなど、国民からの反発も強いし、ナチス内でも、レームはヒトラーから距離を置いて、独立した地位を築いていたため、ナチス内の信望も薄い。

レームは突撃隊を正規軍にしようと目論んで、帝政打倒に続く「第二革命」を唱えていたため、国軍と間に軋轢が生じていました。突撃隊は所詮烏合の衆のチンピラ集団です。国防軍のプライドがその軍門に下ることは許さず、レームに対する反発を強めてました。

クーデターは綿密な計画と、丁寧な根回しが必要です。軍部の支持、あるいは国民の支持がないとただの国賊になります。国民は圧倒的にヒトラーを支持していたため、軍部の反ヒトラー派でさえもクーデターをなかなか実行できなかったくらいで、その軍部の支持もないレームがクーデターを起こしたところで、あっという間にまた倒されるのは目に見えています。

この点では、ヒトラーは巧みであって、国軍対突撃隊、突撃隊対親衛隊という対立構造を作ることによって力を分散し、それぞれが抑制し合う関係になっており、力が集中してクーデターの条件が揃わないようになっています。

レームは、ヒトラーを牽制しつつも、ヒトラーのマブダチってところでその威光を利用して自身の権力拡大をする方が有利であることくらいはわかっていたでしょう。

 

 

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