同性愛者弾圧の時代へ—ナチスと同性愛[9]-(松沢呉一)
「「ホモ・ユーゲント」からの脱却—ナチスと同性愛[8]」の続きです。
ハイネスと汁青年
この写真を見ていただきたい。
Edmund Heines, Deputy of the Nazi Sturmabteilung, with his partner. (1934)
エドムント・ハイネスとパートナーとありますが、真偽は不明。
ハイネスだとしたら向かって右側。ナチス幹部の顔はある程度は識別できるようになってますが、ハイネスはもっと細身で、残忍で不敵な顔をしています。性格も残忍だったらしい。ただ、それは正面の顔の印象です。男女とも、ドイツ人は歳をとるとともに肉がつく傾向が強く、同じ角度だと似ているように見えるものもあるにはあります(前回出した写真を参照のこと)。
こちらの記事(スペイン語)によると、ハイネスはロスバッハ義勇軍の出身で、この相手はロスバッハ義勇軍の青年部門シル・ユーゲント(Schilljugend)のメンバーらしい。そこまでわかっているなら本物かとも思うのですが、確かめられない。
もしかすると、ハイネスが捕まった時に一緒にいたのもこの「汁青年」か? しかし、制服が一緒っぽいので、どっちもSAなのではなかろうか。制服に詳しい秋山理央にチェックしてもらおう(追記)。
後に作られたゲイ映画のスチールの可能性をなお疑ってますが、これがハイネスじゃないとしても、SAのメンバー同士であるなら、こんな写真を撮られたり、撮ったりするほど、オープンだったことがわかります。とくにこの一派は、あっさり粛清されてしまったように、無警戒、無防備な傾向がありそうです。レーム自身がそうですし。
シル・ユーゲントはヒトラー・ユーゲントに吸収されていき、ヒトラーにユダヤ人の扱いを直訴した、勇気あるヘンリエッテ・フォン・シーラッハの夫であるバルドゥール・フォン・シーラッハ(Baldur Benedikt von Schirach)がヒトラー・ユーゲントの指導者だったのですが、この人物はバイだったという説もあります。これも真偽は不明です。
レーム一派が一掃されてからは内部の風紀粛正が進んでいきますが、若い男たちが集まるのですから、疑似であれ、そういった行為がなされることは避けられず、のちのちまで、レームの時代に作られた「ホモ・ユーゲント」というイメージと呼称が残ったのだろうと思います。
追記:まだ確定はしてないですが、秋山理央によると、これは国軍の制服っぽく、SAではない上に、時期も1935年以降の可能性が高く、ハイネスではないだろうとのこと。さすが。さらに正確なことは間もなく報告があるはず。もう少々お待ち下さい。
追記2:秋山理央からの最終報告がありました。ハイネスである可能性は0パーセントです。報告は長いのですが、簡単にまとめると、制服は国防軍(国軍)の陸軍のものです。なおかつ1938年以降の野戦服で、変更の通達があったのはこの年の11月26日なので、支給されたのは1939年の可能性が高い。もちろん、その時代のものをのちのち着ている可能性はあるにせよ、つまり戦後撮影された可能性だってあるにせよ、ハイネスたちがどこかから借りてきてふざけて着たということはあり得ない。その説明に私は完璧に納得しました。
閉鎖されたエルドラド
続けてもうひとつ写真を見てください。
以下は前に出てきた女装クラブ「エルドラド」です。
下は閉鎖されたエルドラド。
この下の写真は、ネットを探っている時に、ナチスの台頭によって閉鎖されたナイトクラブの写真として見かけたのですが、よく見たら看板にエルドラドのロゴが見えたので、「あ、女装クラブのエルドラドがこんなことに」と気づいて画像検索してみたところ、このページに上の写真とともにこの写真が出てました。
「ヒトラーに投票を リスト1」
下の写真は国会議事堂放火事件の直後です。そういうことがすぐにわかるくらいにはナチスに詳しくなりました。
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