松沢呉一のビバノン・ライフ

大学はこのまま萎縮していくだけ—京都造形大学に対する訴訟[7](最終回)-(松沢呉一)

解決は簡単、しかし、おそらく実現はしない—京都造形大学に対する訴訟[6]」の続きです。

 

 

 

萎縮の怖さ

 

vivanon_sentence「ビバノン」でも何度か書いていますが、萎縮効果は怖い。たとえば「メディアも個人も萎縮する-大阪市「ヘイトスピーチ への対処に関する条例」を検討する 3」や「「ホモ」を差別用語にするな—心の内務省を抑えろ[6]」に書いたように、差別用語とされるものを考えればわかります。

その言葉自体に差別性などありはせず、文脈上も差別性がない場合でも、「部落」という言葉を使わないようになってしまう。「ホモ」をプライドをもって使っている人たちが今もいるのに、「ホモは差別用語だ」という認識だけが一人歩きしてしまい、人を萎縮させていきます。

複雑な問題に簡単な答えを求める人間」は、「差別とはなんぞや」「その言葉はどういう経緯で使われてきたのか」「差別的な文脈がそこにあるのかどうか」なんて複雑なことはすっ飛ばして、「使ってはいけない言葉」というわかりやすいお約束を求めてしまう結果です。

ここには国家権力のような強大な存在が介在しておらず、一人一人が作り出している表現規制です。「この言葉を使うと抗議が来るのではないか」「差別文脈ではないけれど、不快になる人がいるようだ」という怯え、遠慮といったものによって、使うのをやめてしまい、使うのをやめてしまうことでいよいよその言葉が使えなくなります。

裁判所が判定するにしても、今回の訴訟も民事ですから、国民だの、市民だのと言われる民間の一個人が表現を萎縮させるって話です。それを可能にしてしまったのが、セクハラのアバウトな定義です。

これによって、ゲシュタポや特高に密告しなくても、一個人が表現を「取り締まる」ことが可能になりました。「私は不快」「私は苦痛」を根拠に「ハラスメントです」と言えばいいだけ。そういう社会を作り出したのは、いい加減なセクハラの定義に疑問を抱かない大学という存在であったことを銘記しておきます。

※『表現の自由―その公共性ともろさについて』の著者は萎縮効果について積極的に発言しています。著書までは読んでないですが、信用できそうです。

 

 

萎縮する大学

 

vivanon_sentenceいくら事前説明をしても、それを読む気のない人、読んでも理解できない人には意味がない。裁判上では事前説明に意味があるとしても、知ろうともしなかったこと、調べようともしなかった自分を恥と感じない人からのクレームは来てしまい、訴訟にまでなる。

こういう事態となって確実に予測できるのは各大学がただただ萎縮するってことです。「適用範囲」を明示して、一般向けの公開講座は範囲から外したところで、学部生や院生から同様のクレームは来てしまいますから、本来はそもそものセクハラの定義を拡大しないようにするしかないはずです。

と20年くらい言い続けてきたわけです。言い続けてきたのは、服務規程や処分規程における定義であって、防止用のガイドラインではありませんけど、たぶんどっちもアバウトなゆるゆる定義になっている大学が多いと思います。

その改善は簡単です。しかし、アバウト極まりない定義の危険性を考える気がなく、表現を守る気もない大学は、おそらく今回のことで、それを改善するのではなく、教員や講師に対して、「学生が不快になるような内容は取り上げないように」と通達を出すわけですよ。どうして根幹になる定義を「本来救済すべき対象に留めて、救済する必要のない人たちにまで拡大しないようにする」という当たり前のことをしないのかさっぱりわからんけど、現にアバウトな定義にして満足しているんだからどうしようもないし、これからもずっとそうなんでしょう。

フレッチャー論争ではそれに対する異論が学生たちから出てきて、ナディーン・ストロッセンのような教授も異論を出し、だからただのフレッチャー騒動、フレッチャー事件ではなく、フレッチャー論争になる。それがどこまで歯止めになったのかわからないですが、内部から異論が出るのと出ないのとでは大違いです。

私を含めて、所詮外部の人間は無責任ですから、一時騒ぐだけ。大学の自治の考えからしても、こういう問題は大学の内部で徹底的な議論をすべきだと思いますが、それも起きにくいこの社会では、学校側は嵐の過ぎるのを待つだけになりやすく、結局、改善はなされず、ただただ萎縮していきます。

※ミロ・モアレ「Ist das Kunst oder kann das weg – Performance by Milo Moiré at Kunstakademie Duesseldorf 2019」 性器をモチーフにしたアートはすでにありきたりで新味がないですが、それを全裸で鑑賞しているのは新しい。鑑賞することで、作品をも刷新するミロ・モアレ。

 

 

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