初めて吉原の高級店へ—イメクラの客・ソープランドの客[上]-[ビバノン循環湯 528] (松沢呉一)
たぶん「Ping」に書いたのもの。
菜摘ひかるが最後に選んだのはソープランドだった
亡くなった風俗嬢ライターの菜摘ひかるはいろんな業種で働きながら、風俗嬢として最後に働いていたのはソープランドであった。彼女はそれまでにも本番産業で働いてはいたが、マグロでいい業種は体質に合わず、プロ意識が発揮できるソープが水に合っていたのだろう。
もちろん店にもよるし、個人にもよるが、ヘルスも、挿入でごまかせない分、個人の工夫が生かされる。イメクラは客がリードするのに合わせて受け身に徹していてもいいこともあろうが、物語を必要とするタイプだと、それにつき合わなければならず、照れずになり切る演技力が必要とされる。
それでも彼女はソープランドを選んだ。彼女のプロ意識はソープランドでこそ活かせたのだろう。ソープランドでは、マットやスケベ椅子など、個人の技術が入り込む余地が多々あって、なにより時間が長いため、挿入しただけで客が満足するわけではない。そこに彼女はなんらかのやりがいを見いだしたのだと思う。
実際にそうだったのかどうかわからないが、彼女のその選択は理解できる。なのに、私はあまりソープランドには行かない。ソープランドに限らず、本番産業にはあまり行かない。たかがと言えばたかが挿入なのに、ソープランドとヘルスとの間にはっきりとした区別があるのは、法律の規定だけの問題ではない。
特別なものとまでは言わないが、私の中にもどこかに挿入行為は他と違うものという感覚がある。人にもよろうが、ここから私は逃れられないような気がしている。
挿入の意味
この感覚は人によっても違うだろうが、私の場合、挿入行為までをした相手とそうじゃない相手とは、何かが違う。したから違ってくるのではなく、する前に違いがあるかもしれない。
した相手との方が上にあって、してない相手は下にあるといったようなランクがあるのではないが、精神性とも関わる一線があって、ある種の愛情のある相手とは挿入までしたくなる。
であるが故にソープには行かないのかもしれない。愛情を確認せずに挿入することに面白味がないというか、単にスケベしたいだけなのに、挿入までするのは重すぎるというか。
恋愛関係におけるセックスがいくら楽しくても、そうじゃないものを風俗産業に求める私としては、その重さを排除したいのかもしれない。
この重さは挿入行為だけじゃなくて、男子従業員にせよ、女の子にせよ、プロの接客態度が重すぎるということもある。私はお気楽が好きなんである。
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