松沢呉一のビバノン・ライフ

カトリックの学生たちから始まった「白バラ」の評価—バラの色は白だけではない[3]-(松沢呉一)

クリスチャンよりもリベラリストとしての「白バラ」—バラの色は白だけではない[2]」の続きです。

 

 

 

戦後のドイツで抵抗運動が評価されるまで

 

vivanon_sentence虚心坦懐にインゲ・ショル著『白バラは散らず』とそこに掲載されたビラを読めば、「白バラ」は「個人の自由」を掲げたリベラリストの抵抗運動だったという印象をそう無理なく受け取れるはずです。キリスト教の影響ももちろん否定し難くあるのですが、どうして今までそちらが強調されて「白バラ」は語られてきたのでありましょうか。

おそらくこれはドイツの戦後事情に関わっています。戦後になってナチスに対する反省が高まり、抵抗運動はすぐさま礼讃されたのかと言えば、全然そんなことはない。

ここはまだ全然調べが足りず、對馬達雄著『ヒトラーに抵抗した人々』を参考にして、ざっとまとめておきますが、今回以降述べていく「白バラ」の位置づけについては私個人の見解であることをお断りします。

ドイツは敗戦で英米仏ソによって分割占領されます。1949年に東ドイツと西ドイツに分断されて独立し、東ドイツでは、スパイ活動を含む共産党員による抵抗運動だけが評価されました。それ以外はほぼ無視。反ソ・反共派の抵抗運動は評価したくないし、共産党だけが正しいってことでしょう。いつもの独善。

対して西ドイツでは、ナチスに対する抵抗運動自体を隠蔽します。なぜそうも伏せておこうとしたのかよくわからないのですが、こちらはこちらで、親ソ、親共産党系の抵抗運動を排除して、ドイツの共産化を避けたかったことまでは容易に想像できます。そういう時代。

Wikipediaより、1945年に米占領軍が制作したポスター。Diese Schandtaten: Eure Schuld! は「この犯罪:あなたがやったことです」といった意味。ここまでやっても自分の責任と向かい合う人ばかりではなかったことはブルンヒルデ・ポムゼルを見ればわかります。あれは特別ではなく、典型的な姿勢。さらには「ナチスの時代はよかった」とする人たちが多数いたのが戦後のドイツです。

 

 

東ドイツでも西ドイツでも抵抗運動は隠蔽された

 

vivanon_sentence現実に抵抗運動を担った人たちのバックボーンはさまざまで、共産党系、社会民主党系、アナキスト系、国軍系、キリスト教系、不良系などがいて、ナチス時代にはどれもこれもユダヤ=ボリシェヴィキによるナチスへの攻撃とされていて、改めて占領軍がそれぞれの背景を調べて対応するのは面倒ですから、一律に「ドイツ人=ナチスを支持した悪人たち」として扱いたかったようです。「絶対悪のドイツ対絶対正義のイギリス・アメリカ・フランス」という構図にした方がたしかに楽でしょうし、国民の9割がナチス支持だったわけですから、そうは間違っていないかもしれない。

その結果、占領下の検閲によって、メディアも抵抗運動については一切触れることができないことになってしまいます。「その方が簡単」「共産主義者に肩入れすることは避けたい」という理由があったにしても、そこまでしなければならないことか? とは思うのですが、占領軍には従うしかない

国民がまた国民で、「ヒトラーが悪い」「何も知らなかった」「ナチスに騙されていた」「抵抗なんてできるはずがなかった」としらを切るためには、抵抗運動の存在は邪魔です。何もしなかったことの責任、さらにはゲシュタポに密告して抵抗する人々を潰してきたこと、処刑に加担してきたことの責任を浮かび上がらせてしまう。占領軍の方針と彼らの都合とは合致していたわけです。

そのように鮮やかな手のひら返しをする人たちばかりではなく、処刑され、追放された幹部を除いて、社会のあらゆるところでナチス残党は温存され、占領が解けるとナチスを継承する活動を開始します。それが1949年結党の社会主義ドイツ帝国党(Sozialistische Reichspartei Deutschlands)であり、瞬く間に地方議会での議席を獲得していき、彼らは抵抗運動を「祖国への裏切り者」として攻撃し、ドイツが戦争に負けたのは抵抗運動のためだと喧伝し始めます。

 

 

next_vivanon

(残り 1613文字/全文: 3346文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ