松沢呉一のビバノン・ライフ

ナチス推奨の「積極的キリスト教」と帝国教会—バラの色は白だけではない[4]-(松沢呉一)

カトリックの学生たちから始まった「白バラ」の評価—バラの色は白だけではない[3]」の続きです。

 

 

 

ナチスとキリスト教

 

vivanon_sentenceナチスとキリスト教の関係はメチャ面倒です。正確かつ緻密に論じていくことは私の力量を越えているので、思い切りアバウトにやります。それでも十分込み入ってますが。

ナチスに興味を抱き出して、すぐにポグロムを調べたのは私にとっては幸いだった部分があります。所詮、生半可な理解ではあっても、ここを先に押さえたことで、ナチスがなぜああも支持されたのかの背景がわかりやすくなりました。ユダヤ迫害はヨーロッパのデフォルト、あるいはキリスト教のデフォルトです。ナチスはその脈絡なしに突然登場したわけではありません。

ナチス・シリーズの最初から言っているように、ナチスについてはWikipediaに大いに助けられているのですが、とくに「反ユダヤ主義」の項目はぜひとも目を通していただきたい。

新書一冊分くらいあるんじゃないかと思えるくらい長いですが、ユダヤ人との商取引禁止、財産の没収、ダビデの星の着用、ユダヤ文書の焚書、隔離、焼き討ち、追放、そして虐殺まで、ナチスがやったことはヨーロッパでは数百年にわたって続けられてきたことです。ナチスは、20世紀になってまでそれを国家単位で大規模にやったことが特異なだけです。そんな例はそう多くはないので、ここを特筆するのはいいとして、その背後に存在する反ユダヤの流れも知っておいた方がよさそうです。

この大元にはキリスト教対ユダヤ教の対立があります。その上にいろんなもんが乗っていて、19世紀になってからは、民族学、生物学のような科学らしきものが前面に出てきて、「近代的反ユダヤ主義」が完成します。また、ここにまたオイゲン・デューリング(Eugen Karl Dühring)のような社会主義者からの反ユダヤ思想が生まれ、反ユダヤはまた新しい装いになっていきます。

ヒトラーにも影響を与えたリヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)は、ミハイル・バクーニン(Михаи́л Алекса́ндрович Баку́нин)ピエール・ジョゼフ・プルードン(Pierre Joseph Proudhon)ら無政府主義者との交流があって、バクーニンもプルードンも反ユダヤだということを「反ユダヤ主義」を読んで初めて知りました。反資本主義、反金融資本の文脈ですが、これとて先に出来上がっている異教徒ユダヤ人に対する偏見や蔑視があってのことでしょう。

ヒトラーのユダヤ排斥論は荒唐無稽ですが、ユダヤ排斥の理論はほとんどナチス前に出尽くしていて、荒唐無稽な論が広く支持されていたと言っていいでしょう。

Wikipediaの「血の中傷」の項も読むとよい。ポグロムはしばしばこの「血の中傷」によってなされています。

 

 

マルティン・ルターと反ユダヤ

 

vivanon_sentenceナチスは反キリスト教としているものがよくあります。たしかにヒトラーやゲッベルスはキリスト教批判をしていますが、表層的な道徳、偽善的な道徳に向けられたものについて言えば、たとえばイギリスでヴィクトリア朝以降当たり前に見られた批判に類するものであって、20世紀的な言論でしかないでしょう。

制度については道徳よりも民族発展という目標が優先された側面があって、その点では宗教軽視、時には無視、そして時には邪魔なものとして扱っていますが、それはむしろヒトラー信仰以外の信仰のすべてに該当し、ことさらにナチスは反キリスト教とは一概には言えない。反キリスト教オカルティズムとの関係も、初期ナチスについては相当に強かったにせよ、また、ヒムラーに色濃く受け継がれているにせよ、ナチス全体を象徴するものではないでしょう(「ナチスとオカルティズム」というテーマはまた面倒臭くて、別立てのシリーズでやります)。

ユダヤの迫害、追放、虐殺についてはキリスト教の伝統行事であって、ここをもって直ちに「ナチスは反キリスト教」とは言えない。

たとえばプロテスタントの祖であるマルティン・ルター(Martin Luther)は当初カトリックの反ユダヤ主義に反対の立場だったのですが、やがて「シナゴーグを焼き討ちにし、ユダヤ人の家も焼き払え」と言っていたくらいの典型的反ユダヤ主義者です。

 

 

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