松沢呉一のビバノン・ライフ

英雄ショル兄妹の行為で逮捕された人たち—バラの色は白だけではない[資料編]-(松沢呉一)

 

 

はじめに

 

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白バラについて調べていても、ドイツ名ですから、すぐに誰が誰かわからくなってしまって、関係者リストがどこかにないかと探したのですが、全体をリストアップしたものが見つからない。ないはずがないのですが、ネットでは探せませんでした。ハンブルクについてはリストがあり、他もバラバラには存在していますが、一瞥できないと不便です。いずれにせよドイツ語であり、自動翻訳で見ていると、おかしな読みを覚えてしまいそうです。

だったら日本語版を作ろうと思い立った次第。名前と略歴、逮捕の経緯だけだとなかなか記憶しきらないので、写真も添えているうちに、けっこう立派なものになりました。自分用に作り始めたのですが、途中から、講読者用に公開しておくものとして作業を続けました。

ミュンヘンの白バラだけじゃなく、ハンブルクのグループも入れているのは、これから先に出す予定のハンブルク編に必要だったためです。

 

 

vivanon_sentenceハンス・ショルゾフィー・ショルクリストフプロープストは1943年2月22日に処刑されています。クルト・フーバーアレクサンダー・シュモレルは同年7月13日に処刑され、ヴィリー・グラーフは同年10月12日に処刑されています。

この6名はよく知られていますが、逮捕されたのがこの6人だけのわけがない。逮捕されたのは30人と書いてあるものも見かけましたが、それでもまだ少ない。

ショル兄妹とプロープストが処刑された翌3月に「白バラ」のメンバー60名が逮捕されたと書かれているものもあります。白バラに関与していない家族や友人も含まれていましょうけど、このくらいの規模で逮捕がなされたのではなかろうか。

参考人として任意で同行なんて面倒なことをせず、即逮捕して取り調べ、拷問をして自白させるのがゲシュタポのやり方です。上記6人については拷問はなかったようですが、ハンブルク・グループについては、逮捕されて取り調べの間に亡くなっている人が複数いることでも、拷問があったことが推測できます(自殺については判断が難しい。殺しておいて自殺で処理するのはナチスの常套手段ですが、活動家の中には拷問で自分が自白してしまうことを怖れて自殺するのがいたのも事実です。これは筋金入りの活動家たちの行動で、白バラに関わった人たちはまた違うだろうと思いますが)。

ハンブルクでは、この年の11月から翌年にかけても逮捕者が続出してます。ハンブルクだけで25人としてあるものも散見できますが、私がカウントできているだけでもそれ以上います。

ショル兄妹ら6名以外に、はっきりわかっているだけで9名が処刑されているか、刑務所、強制収容所内で亡くなっています(ゲシュタポのスパイだったモーリス・サックスを除く)。長期拘留のために体を壊し、それが原因で釈放されてから亡くなっている人たちを入れると10名を超えます。

この中にはユダヤ人も多くいて、「ユダヤ人の虐殺に反対してビラをまいたショル兄妹は素晴らしい」と目を潤ませている人たちはどうかしていると思います。

 

 

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ショル兄妹の評価はこのリストを見てからにして欲しい。とくにユダヤ系。

ゲシュタポは4種の「白パラ通信」はすべて入手して、タイプライターの機種を特定し、ミュンヘン大学が拠点であると目星をつけながらも郵送によるものだったためにさして重視はしていなかったようなのですが、5枚目のビラで本腰を入れたため、遠からず捕まっていた可能性もありますし、場合によってはハンブルク経由で出元がバレたかもしれない。

そういった仮想も可能ながら、現実にはショル兄妹の行動がきっかけでこれらの人たちは逮捕されました。

ここまで書いてきたことの繰り返しになりますが、5枚目のビラ以降、ハンスのやり方を批判する人たちが出始めます。しかし、彼は聞く耳を持たず、ミュンヘン大に落書きまでします(他の場所はヴィリー・グラーフアレクサンダー・シュモレルが同行していますが、ミュンヘン大はハンス・ショルの単独行動。下の写真がそれだと思われます)。ミュンヘン大でのビラ配りはクリストフ・プローブストアレクサンダー・シュモレルに同行を断られ、数名からやめるように進言されながら強行したものです。

ハンス・ショルはわざわざプロープストの草稿まで持って、慎重だった彼を死の道連れにして。そして、それ以外にも多数の逮捕者を出し、死者を出しました。

その人たち一人一人の顔まで見た時に、ショル兄妹の行動の軽卒さが見えてくるはずです。だからといって私はショル兄妹を否定しきるつもりもない。100パーセントの肯定から100パーセントの否定になる安易な発想自体を否定したい。

 

 

Wall inscription by the White Rose Nieder mit Hitler 

ゲシュタポが撮影したものらしい。文字部分を消したあとで撮ったのだろうと思われます。

 

 

vivanon_sentence以下のリストについて説明しておきます。

 

●ハンス兄妹の行動が契機で逮捕された人やそれを契機にユダヤ人であることで強制収容所に入れられた人をリストアップしました。逮捕されていなくても、白バラに関与した人、白バラに直接関与していなくても、家族等、メンバーに密接な関係のある人はリストに入れました。

●ハンブル・グループは「白バラ・ハンブルク」「白バラハンブルク支部」と言われていますが、これは名称がないために、便宜的に戦後つけられたもので(「白バラ」もグループ名ではなかったわけですが)、白バラと直接接点のある人はほんの一部です。もともと存在していたゆるいネットワークにビラが伝わったのであり、ミュンヘンが本部、ハンブルクが支部という関係ではなく、ここでは「ハンブルク・グループ」として、別扱いにしました。ハンブルクにはもっと大きな抵抗グループが複数あったのですが、ここでの「ハンブルク・グループ」はそれらを意味してません。

居住地ではなく、どちらの容疑で逮捕されたのかで振り分けています。どちらの容疑でも逮捕された人は「白バラ」に入れました。

●名前の冒頭に◯のついた人は逮捕された人。◆のついた人は、処刑された人。■は刑務所と強制収容所内で亡くなった人。▲は解放されて以降、拘禁されたことが原因で亡くなったと思われる人です。この逮捕は白バラのビラを理由としたものちとし、それ以外での逮捕には◯をつけてません(スウィングス等)。◯のあとに?がついたものは逮捕されたことがはっきりしないものです。

●私ごときでも、写真が間違って出されていることに気づくことがあって、そういうものは当然外してますが、その写真がその人物のものかどうか丁寧に検証することはしてません。複数の写真がある場合はできるだけ、ナチスの時代に近いものを入れました。人物の写真が見つからない場合は著書など関連の写真にしています。

●解説内の人名には極力ドイツ語表記を添えてますが(検索する時にドイツ語表記がわからなくて苦労することがある)、このリストに入っている人名は斜体をかけ、ドイツ語表記は省きましたので、その人物の項目を見てください。

●日本語表記が定まっていない名前は、ドイツ語の発音に従ってカタカナにしてます。私のドイツ語の知識はアバウトなので、おかしなところがあるかと思います。気づいたら教えてください。

●ドイツ語はしばしば複数の単語をつなげてワンワードとして扱います(例:Hitler+jugend=Hitlerjugend)。言葉の切れ目がわかりにくいので、単語の頭を大文字や太字にすることもあります(例:HitlerJugend.Hitlerjugend)。それに倣うと「ヒトラーユーゲント」ですが、日本語ではしばしばナカグロを入れて「ヒトラー・ユーゲント」と表記します。私もどちらかと言えば入れたくなります。その辺は臨機応変に。

●「白バラ」「ハンブルク・グループ」とも姓のアルファベット順になってます。

●冒頭に出ている肩書きや職業名は原則として第二次世界大戦時のものです。

●詳細がわからず、名前だけわかっている人たちは、最後に羅列しました。

●中に出てくる用語の説明

 

人狼部隊 Werwolf 連合軍に占領された地域でゲリラ戦をやるためにSSとヒトラー・ユーゲントから作られた部隊。ほとんど機能しないまま霧消していったが、連合軍に降伏しようとする住民を虐殺するなど、ドイツ人に対する殺戮部隊として一部活躍。また、人狼部隊が戦後のネオナチの母体になった例もある。

スウィング・ユーゲント Swingjugend スウィング・ジャズのファンである10代を中心としたグループ。ハンブルクが発祥で、ドイツ全土やオーストリアに広がった。地域による名称、特定グループを指す名称がさまざまあるが、総称としてはヒトラー・ユーゲントをもじったスウィング・ユーゲントが一般的(ナチスも使用)。自称はしばしばスウィングス。1940年頃から本格的弾圧が始まり、一部は抵抗運動に流れたが、1990年代くらいからこれ自体を抵抗運動と見なす動きが強まった。

ドイツ女子同盟 Bund Deutscher Mädel(BDM) ヒトラー・ユーゲントの女子版として1930年に設立。ヒトラー・ユーゲントと同様、1936年からは強制入会となった。

ヒトラー・ユーゲント Hitlerjugend 1926年結成のナチスの青少年組織。14歳から18歳までの男子が対象。それまでは任意加盟だったが、1936年に全員入会が義務づけられた。

ミュンヘン大学 正式名称はルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(Ludwig-Maximilians-Universität München)。バイエルン州立大学だが、カトリック系として設立されていて、現在も神学部がある。名門であり、白バラの拠点校になったと同時に、ルドルフ・ヘス、ヘルマン・ゲーリングなどナチス幹部も多数卒業しており、ショル兄妹の逮捕のあと、彼らを糾弾する集会が開かれているくらいで、反ナチスの機運が強い大学というわけではなく、むしろミュンヘンはナチスが勢力を伸ばすきっかけになった都市。

BUND NEUDEUTSCHLAND 略称ND。1923年に設立されたカトリックの青年団体。高校生の男子のみ入会可。1933年以降ナチスの規制が強まり、1937年に解散させられている。

der candidates of humanity ハンブルクの若手英人医師を中心とする反ナチス・グループ。「人間性の候補」といった意味

dj.1.11 ヴァンダーフォーゲル運動を継承すべく1929年11月1日に結成されたカトリック系青年組織。Deutsche Jungenschaft vom 1. November 1929の略称。1933年にナチスによって禁止となり、翌年、リーダーのエバーハルト・コーペル(Eberhard Koebel)は逮捕され、コーペルは英国に移住した。以降も、全国で非合法活動が続けられ、ヒトラー・ユーゲントを嫌う青年たちの受け皿となっていたが、1937年から翌年にかけて大弾圧があり、多数の逮捕者を出した。

Lichtwarkschüler ハンブルク美術館の館長アルフレート・リヒトヴァルク(Alfred Lichtwark)の芸術・教育理念によって1920年に設立されたリヒトヴァルク高校の生徒のこと。反ナチスの姿勢が強い学校だったがために、1937年に閉鎖に追い込まれ、この卒業生たちがハンブルクの抵抗運動で大きな役割を果たした。

Ulm Abiturientengruppe ウルム人文文法学校同窓会。ショル兄妹を筆頭に、白バラ周辺にはこの高校出身者が多い。ウルムはミュンヘンから70キロほど西にある都市。

 

 

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