ビートルズとスウィングスを生んだハンブルク—スウィング・ユーゲント[上]-(松沢呉一)
斜体のかかった人名は「白バラ・リスト」に項目がありますので、そちらも参照のこと
ドイツ最大の歓楽街とビートルズ
白バラのことですっかりハンブルクについての興味が高まってしまってまして、この街は相当に面白そうです。行けるもんなら行きたい。
たいていどこの国でも港で栄えた都市は国外との窓口になるために国際化が進み、進取の機運や自由な空気があるものです。横浜しかり、神戸しかり。外国人が多いことも港町の特性です。
ビートルズの4人が出揃って、この地で活動を始めたことも、ハンブルクという場所をよく物語っているかと思います。外からの文化や人を受け入れて、外に向けて発信をする。
ビートルズがハンブルクで演奏したクラブはおそらくどれもレーパーバーン(Reeperbahn)というエリアだと思われます。ハンブルクの歓楽街であり、ヨーロッパ屈指の歓楽街でもあります。現在もムーランルージュなどのキャバレーや飾り窓があるエリアです。
ナチスの時代はご多分に漏れず弾圧をくらうのですが、ハンブルクでは戦中も売春婦たちや男娼たちが多数いて、ホモ・クラブ(当時のドイツでは「ホモ」が一般的です)が営業していたらしい。検索しても詳しいことはわからなくて、もっと知りたくなってます。
ハンブルクが生んだスウィング・ユーゲント
スウィング・ジャズが好きな十代の不良系抵抗運動、スウィング・ユーゲント(Swingjugend)がハンブルクから始まったことも納得しやすい。
この言葉でわかるように、スウィング・ユーゲントはヒトラー・ユーゲントが生み出したものです。そこからはみ出した不良たちのひとつの動きがスウィング・ユーゲントであり、ナチスもこう呼んでいます(ナチスが命名したとの説もあるようですが、どちらにせよ、ヒトラー・ユーゲントを踏まえてます)。
スウィング・ユーゲントはスウィングスとも呼ばれ、あとで出てくるように、地域ごとの名称があったり、グループ単位の名称があったりもしますが、ここでは引用部分を除いて、スウィングスを使用します。短く済むってだけです。
「白バラにはスウィングスがいた」との記述がなされているものがよくあるのですが、これは白バラと接点のあったハンブルク・グループのことです。
わかっているだけで現役スウィングスであるブルーノ・ヒンプカンプ、トルステン・ミューラー、ゲルト・シュピッツバルトの3名、それと元スウィングスのフリードリヒ・ルドルフ・ゴイゼンハイナーがハンブルク・グルーブに参加していました。
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