ハンス・ショルが刑法175条で逮捕されるまで—バラの色は白だけではない[13]-(松沢呉一)
「ハンス・ショルはピンクのバラだった?—バラの色は白だけではない[12]」の続きです。
流れを『白バラは散らず』で確認
では、白バラよりずっと前に19歳のハンス・ショルが逮捕されるまでの経緯をインゲ・ショル著『白バラは散らず』で確認してみましょう。肝心のところは確認できないのですが、確認できないことに意味があります。
ヒトラー・ユーゲントに入って、まずハンスが反発をするようになるのは、彼が好きだったものが次々と否定されていくことでした。
ハンスは歌曲を収集していて、仲間は彼がギターに合わせて歌うのをよろこんで聞きました。それはヒトラー青年団の歌だけではなく、いろんな国や民族の歌謡でした。なんと魅力のあるひびきを、たとえばロシアとかノルウェーの民謡は、そのほの暗く尾をひく憂愁のうちにたたえていることでしょう。なんとあますことなく、人びととその郷土のもつ魂をつたえてくれることでしょう。
けれど、やがて目立った変化がハンスの胸のなかに起こり、彼はもはや昔の彼ではなくなりました。何か異物が彼のからだに入りこんだようでした。父親の態度なのではありません。彼はそんなことには耳をかさない勇気をもっておりました。もっと別なことなのです。あの歌曲は禁止されている、隊長たちが彼に言ったのでした。そして彼が笑ってすまそうとすると、罰則だ、とおどされたのでした。
また、こんなことも。
ある日、彼はまた新しい禁止を言い渡されて、家に帰ってきました。隊長の一人が、彼の愛読作家の本をとりあげたのです。それは『人類の星の時間』といって、シュテファン・ツヴァイクのものでした。この本は禁止である、と言われたというのです。なぜ? 答えはありませんでした。彼の気にいっていたもう一人のドイツ人作家についても、似たことを彼は聞きました。それは平和思想にくみしたため、国外に亡命する羽目となった作家でした。
このあと、ニュルンベルクのナチスの党大会にハンスのグループの旗を持ち込もうとして止められ、大隊長を殴る事件があってヒトラー・ユースを去ります。
ゾフィーも同じような経緯で、ドイツ女子同盟に失望していきます。彼女の場合はハイネの本が禁じられたことがきっかけでした。
そして、彼らはdj.1.11という青年会の活動に活路を見出します。ドイツではヴァンダーフォーゲル(Wandervogel)の活動があって、それを引き継ぐ形で、1929年11月1に設立されたDeutsche Jungenschaft(ドイツ少年時代)というクリスチャンの青年会です。
ヒトラー・ユーゲントは当初はさほど人を集めることができず、そこでナチスは、1933年、ヒトラー・ユーゲント以外の青少年の集まりを禁止します。そうすればヒトラー・ユーゲントに入るしかないってわけです。これによって、dj.1.11の創設者であるエバーハルト・コーペル(Eberhard Koebel)は1934年に逮捕され、これを契機に彼はイギリスに移住しました。
それでも、ヒトラー・ユーゲントを嫌う者たちは引続きdj.1.11の活動を続け、新たなdj.1.11の組織も作られていきます。
ハンスは、ヒトラー・ユーゲントの前にウルムのdj.1.11に参加していていて、大隊長を殴った事件の元になった旗はdj.1.11の旗だったようです。そりゃナチスでは許されない。
そして、ヒトラー・ユーゲントを離れてから、dj.1.11に専念。ここではハンスの好きな歌は禁じられることはないし、ゾフィーの好きな本も禁じられない。
※このハンス・ショルの写真は、ヒトラー・ユーゲントの制服ではなさそうで、その前のdj.1.11か?
ハンスとゾフィーの反骨はここから始まった
ナチスはこれに対して徹底的な弾圧を加え、1937年11月1日、馬が好きなハンスは、志願兵として騎馬隊に所属している時に逮捕されます。
インゲ、ゾフィー、ヴェルナーも逮捕され、ゾフィーは16歳の女子ということで同日に釈放され、インゲとヴェルナーは1週間で釈放され、ハンスは1ヶ月拘留。家宅捜査も入って大事な歌集も日記も押収されました。
この一連の出来事については『白バラは散らず』では具体的なことがわからないように説明されています。
けれどそのかたわら、まだ別のことがハンスと、いちばん下の弟のヴェルナーのために残されていて、十四歳から十八歳にわたるこの数年間、彼らの生活を規定し、言いしれぬ躍動感でみたすことになりました。それはすなわち、「青年会」という少数の同志の集まりでした。この「青年会」はドイツのいろいろな都市、とくにまだ文化的生命の死に絶えていないところにあったのです。ちりぢりになっていた青少年の連繋のうち最後まで残ったもので、もともとずっと以前から秘密国家警察の禁止をうけておりました。
(略)
突如取り締まり旋風が全ドイツを吹きはらい、私たちの世紀初頭にすばらしい期待とふかい躍動とで開始された青年運動の、この最後のとりでは崩壊しました。
この会員たちの多くにとって入獄は、彼らの青春のもっとも大きな、また実りあるショックの一つでした。そして彼らの大部分は、青春や青年運動やまた「青年会」が一度結末をもつことによって、成年への歩みを完成すべきだ、ということを理解したのです。日誌や新聞や歌集は、没収され踏みづけにされました。会員たちは数週間、あるいは数ヶ月後に釈放されました。ハンスはそのころ、愛読書の一冊の最初の余白にこう書きこみました。「われわれの心を身から引きはなしてみよ—触れる者は血まみれにやけどするであろう」
この会員時代はいつかは終わらざるをえぬ、たとえ秘密警察がなかろうとも。これが、ハンスが灰色の監房にはじめて接触したあいだに得た、認識だったのです。彼は今は目前にひかえる大学生活を真剣に考え、医者の職業につこうと決心しました。
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